|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 高 : [たか] 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money ・ 高麗 : [こうらい] 【名詞】 1. ancient Korean kingdom ・ 大山 : [たいざん, おおやま] 【名詞】 1. great mountain ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point
高麗 大山(こま の おおやま、生年不詳 - 天平宝字6年(762年))は、奈良時代の貴族。氏姓は背奈公、のち背奈王、高麗朝臣。高句麗系渡来人・背奈福徳の孫で、大学助・背奈行文の子。官位は従五位下・遣高麗大使(遣渤海大使)、贈正五位下。 == 経歴 == 天平19年(747年)従兄弟の背奈福信・弟の背奈広山らと共に王(こにきし)の姓(カバネ)を賜与される。この時の位階は外正七位下)〔『続日本紀』天平19年6月7日条〕。その後、高麗の氏(ウジ)と朝臣の姓(カバネ)を賜与される〔『続日本紀』天平勝宝2年(750年)正月丙辰条に背奈福信ら6名に対する高麗朝臣の賜姓記事があることから、大山もこの時期に賜姓を受けたと考えられる。〕。天平勝宝4年(752年)遣唐使判官として唐に派遣され、天平勝宝6年(754年)に帰国し、正六位上から従五位下に昇叙される〔『続日本紀』天平勝宝6年4月7日条〕。 天平宝字5年(761年)武蔵介〔『続日本紀』天平宝字5年10月1日条〕に任ぜられる。まもなく遣高麗大使(遣渤海使)に任ぜられて渤海に渡る〔『続日本紀』天平宝字5年10月22日条〕。翌天平宝字6年(762年)渤海から渤海使・王新福を伴っての帰途船上で病を得て、佐利翼津(さりよくのつ)まで帰り着いたところで没する〔『続日本紀』天平宝字6年10月1日条〕。最終官位は遣高麗大使従五位下。死後、二階の昇叙を受けて正五位下を贈位された〔『続日本紀』天平宝字6年12月11日条〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高麗大山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|