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高堂 国典(こうどう くにのり、1887年(明治20年)1月29日〔『日本映画年鑑』では明治21年(1888年)1月17日生まれとしている。〕 - 1960年(昭和35年)1月22日)は、日本の俳優。本名は谷川 佐市郎(たにがわ さいちろう)。一時は高堂 黒天(読み同じ)の芸名で活動していた。通り名は「こくてん」。 戦前は帝国キネマと市川右太衛門プロダクションで活躍し、戦中から戦後にかけて東宝に出演した。老け役として個性を発揮し、様々な作品に脇役で活躍。黒澤明作品の常連の一人でもある。 == 来歴 == 1887年(明治20年)1月29日、兵庫県高砂市に生まれる〔『日本映画人名事典 男優篇<上巻>』(キネマ旬報社、1996年 ISBN 4-87376-188-3)によれば一説には奈良県奈良市油阪町出身。〕。 関西学院中学部中退後の1901年(明治34年)、新派の村田正雄の門下に入り、大阪横井座で初舞台を踏んだ後地方巡業で各地を回る。 1923年(大正12年)、帝国キネマ小阪撮影所現代劇部に入社後本格的に映画俳優として活動を始め、『呪いの船』『復讐鬼』『星は乱れ飛ぶ』といった作品に出演する。 1926年(大正15年)、帝国キネマの内紛からアシヤ映画製作所、聯合映畫藝術家協會に所属した後、同年古海卓二監督の第一線映画聯盟に加わり『恐しき邂逅』などに出演。 1927年(昭和2年)、運動終了後に市川右太衛門プロダクションあやめ池撮影所に入り主要メンバーとして活動、『笑ふな金平 後篇』や『一殺多生剣』などに出演、また『旗本退屈男』シリーズの常連だった。松竹下加茂撮影所製作の『雪之丞変化』の土部三斎役は敵役としての代表作とされる〔盛内政志『映画俳優事典』未來社 1994年 ISBN 4-624-71065-7〕。 1936年(昭和11年)に松竹下賀茂撮影所へ移籍。 1939年(昭和14年)、東宝に移籍、このころ数作に高堂 黒天名義で出演している。戦後も東宝を中心に多くの作品に出演。 1960年(昭和35年)、1月22日死去。遺作は1959年の『暗黒街の顔役』。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高堂国典」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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