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髙安 晃(たかやす あきら、1990年2月28日 - )は、茨城県土浦市出身の大相撲力士。田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属。本名同じ。身長186cm、体重171kg、血液型はA型。突っ張り、押し相撲を得意とする一方で左四つからの寄りもある。13代鳴戸(隆の里)と同じく上手捻りも得意とする。〔『相撲』2013年11月号33頁の記述によると、「序二段の頃に自然に稽古場でやるようになった。」と本人が証言しており、13代鳴戸が右上手から放つのとは異なり左右どちらからでも放つ。〕好物は煮魚(特にサバの味噌煮)。入門前は野菜嫌いであったが現在では好き嫌いが無いという。〔公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』18pから19p〕最高位は東小結(2015年1月場所)。趣味は音楽鑑賞。メディアによって、高安(晃)の表記も見られる。TwitterとFacebookを利用している。 == 来歴 == 父が日本人、母がフィリピン人の家庭に高安は生まれ、3歳の頃には父がヤマハ音楽教室に連れて行ってピアノを習わせたがその頃には興味を持っていなかった。この頃の経験からピアノに対する未練ができたのか、後年楽器店でピアノを見つけては試しに弾くようになったという。〔土浦第一中学校では野球部に所属し中堅手として活躍していた。中卒後の進路は迷っていたが「身一つで稼ぐ方が性に合う」と結論を出し、父の勧めもあり〔13代鳴戸からは、「高校野球と違って大相撲はすぐに公式戦に出られるよ。」と説得されたという。同じ方法で兄弟子の稀勢の里も説得したとされる。〕中学卒業と同時に鳴戸部屋に入門し、2005年3月場所において初土俵を踏んだ。入門時で既に180cm・120kg,足の大きさ33cm〔『相撲』2012年3月号 因みに兄も弟にあたる高安(晃)に負けず劣らずの巨漢であり、晃と兄弟喧嘩をすると母親ではとても止められなかったという。〕という恵まれた体格から将来を嘱望されていて、その期待に違わずに順調に番付を上げていった。2010年9月場所では西幕下13枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たし、内規により翌11月場所において新十両へと昇進し、舛ノ山(千賀ノ浦部屋、高安と同じく日比ハーフ)と共に、平成生まれでは初となる関取力士となった。新十両で迎えた翌11月場所では11勝4敗という好成績を挙げ、東十両3枚目の位置まで大きく番付を上げた翌2011年1月場所でも9勝6敗と勝ち越し、続く5月技量審査場所でも東十両筆頭の位置で8勝7敗と勝ち越しを決め、翌7月場所において新入幕を果たした。 新入幕となった2011年7月場所では8日目の時点で7勝1敗と非常に好調で、後半戦では黒星が込んだものの最終的には9勝6敗と勝ち越した。幕内4場所目となる2012年1月場所では西前頭3枚目まで番付を上げ、8日目には横綱・白鵬と対戦し、平成生まれの力士としては初めて結びの一番を務めた。同年5月場所では自己最高位となる西前頭筆頭へと番付を上げたが5勝10敗と大きく負け越した。翌7月場所でも初日から8連敗と振るわず、後半には盛り返したものの6勝9敗と負け越した。翌9月場所では初日からの8連勝で中日に勝ち越しを決め、勝てば敢闘賞受賞が決定していた千秋楽の舛ノ山戦に敗れて三賞受賞はならなかったものの、10勝5敗という好成績を挙げた。 2013年1月場所では6日目から9連勝して10日目に勝ち越しを決め、12勝3敗の好成績を挙げて自身初となる敢闘賞を受賞した〔記者クラブは千秋楽に13勝目を挙げることを条件に技能賞受賞も推薦していた。〕。翌3月場所では3日目に横綱・日馬富士を破り自身初となる金星を獲得したものの、結果的には5勝10敗と大きく負け越した。 2013年7月場所では3日目に横綱・日馬富士を上手捻りで破り2個目の金星を獲得し、その後も5日目に鶴竜、6日目に琴欧洲の2大関を破って9勝6敗と勝ち越し、初の殊勲賞を受賞した。翌9月場所では小結へ昇進し、平成生まれ初の三役力士となった。〔本名三役も2004年3月場所に同時新小結を果たした霜鳥典雄、垣添徹以来の記録となる。〕その場所では横綱大関陣からは白星を挙げられず(琴欧洲の不戦勝を除く)、5勝10敗と大きく負け越した。翌11月場所は番付運に恵まれてわずか2枚半減の東前頭3枚目の地位に就いたがここで3勝12敗の大敗を喫してしまう。2013年末には師匠の14代鳴戸(隆の鶴)が田子ノ浦に名跡を変更したことに伴う部屋移転に追われる苦労を味わった。田子ノ浦部屋の力士として迎えた2014年1月場所直前の2014年1月2日には木刀を振るという独特の調整法〔知り合いの合気道家から教わった調整法であり、腕の筋や腱、手首等を鍛え脳を活性化する目的であるという。 : 『大相撲ジャーナル』2014年4月号106頁〕を実践している様子が伝えられていた。その1月場所は終盤4連勝する追い上げもあって9勝6敗の勝ち越し。同年5月場所を東前頭8枚目での6勝9敗で終えた高安は千秋楽の翌日に「優勝争いに絡みたい」と翌7月場所に向けての決意を固めるべく母の故郷・フィリピンへ出掛け、マニラの議員会館でマニー・パッキャオを訪ねる、母の兄弟と会うなどして過ごした。因みに高安はフィリピンを訪れるのがこれで初めてだったという。〔高安がパッキャオ効果で3連勝 2014年7月16日 紙面から〕13代鳴戸もパッキャオをボクサーとして気に入っており、稽古場で試合の話をすることが多かったという。〔<西前頭11枚目の地位で迎えたその7月場所は2012年9月場所以来となる中日勝ち越しを果たし、三役以上との対戦が大関・琴奨菊ただ1人に留まった有利もあり優勝争いに最後まで加わるも、千秋楽の取組を終えて11勝4敗となったことで12勝3敗同士の優勝決定戦に望みをつなぐことはこの時点で不可能になった。優勝は13勝2敗の白鵬が勝ち取ったものの、2013年1月場所以来となる2ケタ勝利を収めた上に敢闘賞を獲得する活躍を果たすことができた。〔高安、平幕2年ぶりVへ今日琴奨菊戦 nikkansports.com 2014年7月26日10時10分 紙面から〕東前頭3枚目の地位で迎えた11月場所は、白鵬に初めて勝利して唯一の黒星を付けた〔白鵬にとっては2013年1月場所3日目(妙義龍戦)以来10場所ぶりの金星配給で、史上1位だった対平幕戦の連勝記録が82で止まった。また、この日は6日目だったため、同様に史上1位だった中日勝ち越しの連続記録も10場所で止まった。 :白鵬、668日ぶり金星配給 平幕連勝記録も82でストップ スポニチアネックス 2014年11月15日(2014年11月25日閲覧)〕 他、日馬富士・豪栄道と2横綱1大関を破る活躍で10勝5敗の好成績を挙げ、2つの金星が評価されて2度目の殊勲賞を受賞した。2015年春巡業のトーナメント戦では優勝を果たして賞金100万円を手にし、これで弾みが付いたのか直後の5月場所では10勝5敗の勝ち越しを収めた。〔『相撲』2015年6月号70ページ〕同年9月場所では、2日目に大関豪栄道を撃破する星があったが、3日目の逸ノ城戦で左足を負傷し、「左下腿筋挫傷、左足関節靱帯損傷で約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出して4日目から途中休場(この日の栃煌山戦は不戦敗)、これが自身初の休場となった。〔高安が左下腿筋挫傷などで休場 逸ノ城戦で痛める 日刊スポーツ 2015年9月16日(2015年9月27日閲覧)〕休場明けとなる翌11月場所は場所前に稽古ができなかったと本人が語っていたが9日目に勝ち越すなど好調であった。しかし10日目以降は13日目以外白星を挙げられず、終盤の失速により9勝6敗にとどまった。〔『大相撲ジャーナル』2016年1月号43頁〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高安晃」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Takayasu Akira 」があります。 スポンサード リンク
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