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高田 潤(たかだ じゅん、1980年11月3日 - )は日本中央競馬会 (JRA) の騎手。大阪府堺市出身。栗東所属のフリー騎手。 兄は角居勝彦厩舎所属の調教助手である高田建吾〔競馬ラボ公式Twitter 2014年9月20日発信 〕。 愛称は「ズン坊」。これは藤田伸二が名付けた(藤田伸二オフィシャルブログ「藤田伸二の男道」 より)。 == 来歴 == 1999年3月6日、中京競馬第1競走でデビュー(ヤマカツロバリーに騎乗し14頭立ての7着)。この年の6月5日、中京競馬第5競走でブイクリッパーに騎乗した際に1レースで2度落馬しながら再騎乗して完走と言う珍しい記録を樹立した。初勝利は同年6月12日の中京競馬第1競走のエアウィンスレット。 デビュー2年目より障害競走にも騎乗を開始。2001年に小倉サマージャンプで障害重賞を初制覇するなど、近年は障害レースでの活躍が目立っている。平地重賞は、2006年神戸新聞杯でドリームパスポートに騎乗して初勝利を挙げた。同馬には2006年の皐月賞でも騎乗し、2着に好走している(この時はミルコ・デムーロの騎乗停止処分による乗り替わりであった)。 同一週に行われる平地と障害のGI(2006年4月15日中山グランドジャンプ・アズマビヨンド騎乗、4月16日皐月賞・ドリームパスポート騎乗)に両方騎乗した騎手は高田が初めてである。 翌2007年にも12月22日中山大障害・キングジョイと、12月23日有馬記念・ドリームパスポートに騎乗。この年高田はまだ勝利がなかったが、有馬記念に騎乗する騎手が未勝利であったというのは例がなく、当時のスポーツ新聞などで話題になり、12月21日の日刊スポーツでは一面で取り上げられた〔今年未勝利の高田に夢の切符/有馬記念 日刊スポーツ 2007年12月21日閲覧〕〔なお、この年未勝利の高田を騎乗させたことがドリームパスポートがレース後に転厩する一因になったとも言われる。〕ものの、中山大障害2着・有馬記念6着と共に敗れ、結局2007年は未勝利に終わった。 2007年2月11日の第4レースの障害戦で落馬し、両側肺挫傷、左眼瞼挫傷、外傷性血気胸、頭部外傷の重傷を負う。療養後、5月6日に復帰した。 2008年12月27日、中山大障害をキングジョイで制し、悲願のJ・GI初勝利となった。 2010年8月21日、新潟ジャンプステークスをコウエイトライで制し、JRAの障害重賞競走が行われる6つの競馬場すべてで障害重賞競走に勝利したことになったが、これは1999年に障害競走にグレード制が導入されて以降、史上初の記録である。なお、コウエイトライにとってもグランドマーチスとバローネターフに並ぶ障害重賞競走での勝利数レコード7勝という記録を達成することになった。 2012年4月1日、2回阪神4日4Rをナリタシャトルで勝利し、JRA通算100勝を達成。 2013年は障害競走で14勝を挙げ、初のJRA賞最多勝利障害騎手を獲得した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高田潤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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