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佐藤 正久(さとう まさひさ、1960年(昭和35年)10月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、参議院外交防衛委員長、自民党参議院政策審議会副会長。元防衛大臣政務官(第2次安倍内閣)。 元陸上自衛官(最終階級:1等陸佐)。職種は化学科で第1種放射線取扱主任者の資格を持つ〔佐藤正久@SatoMasahisa 〕。 == 来歴・人物 == 実家の家計を案じて授業料を要しない防衛大学校と防衛医科大学校を受験し両方とも合格(防衛医大は補欠)〔佐藤『イラク自衛隊「戦闘記」』223頁〕、防衛大学校に入学した(専攻は応用物理)。 自衛官時代は外務省アジア局に出向した他、アメリカ陸軍指揮幕僚大学に留学。また、自衛隊海外派遣のうち、ゴラン高原派遣及びイラク人道復興支援では、ともに初代派遣部隊の隊長を務めるなど、国際的な業務に多く従事していた〔佐藤まさひさプロフィール 佐藤まさひさ公式ウェブサイト〕(ゴラン当時は3等陸佐)。 2004年からの自衛隊イラク派遣では第一次復興業務支援隊長を務め、自衛隊が架けた最初の橋は「SATO BRIDGE」と命名された〔佐藤『イラク自衛隊「戦闘記」』177-178頁〕。 2007年の第21回参議院議員通常選挙で自由民主党の比例区公認候補として立候補し、251,579票を獲得して党内6位で初当選。選挙事務所で当選が報じられたとき、「これからが新たな戦いの始まり。愚直に戦っていきます」と述べた〔電子版『山陽新聞』2007年7月30日「『新たな戦いの始まり』 ひげの隊長、転身の佐藤氏」(ウェブ魚拓)〕。後援会に、資金管理団体を兼ねる「佐藤まさひさを支える会」「佐藤正久後援会」などがある。2008年5月29日、平成研究会(津島派)に入会。 元航空幕僚長の田母神俊雄から「支える会」宛に10万円の政治献金を受けている〔My News Japan 2008年9月30日〕。2009年6月、田母神への退職金支給問題について党国防部会で“これ(田母神の幕僚長たる空将から通常の空将への降格をさす)は、軍人にとっては恥辱であり、これ以上の処分が必要か否か、冷静に判断すべきであり、法治国家である日本において、一部の政治的思惑により、法制度上、懲戒を受けていない者に対し、自主返納を要求することは、如何なものか”と述べた〔国防部会、田母神論文事案で紛糾す (2008年11月11日付ブログ)〕。 2009年10月8日付けで、自由民主党国防部会長に就任(前職 国防部会防衛政策検討小委員会事務局長)〔島尻あい子後援会 台所から政治を変える! 党国防副部会長 就任 2009年10月13日「国防部会長には同期である「髭の隊長」こと、佐藤正久参議院議員が就任しました」〕。 2011年8月1日、新藤義孝、稲田朋美と共に鬱陵島を視察するため韓国に行ったが、金浦空港に行った時点で韓国外交当局より入国を拒否された〔鬱陵島視察計画の自民3議員、韓国空港で入国拒否 AFP 2011年08月01日〕。 2012年9月26日の自由民主党総裁選挙では石破茂を支持。推薦人に名を連ね、石破の出陣式で応援演説を行っている〔ヒゲの隊長 佐藤正久参議院議員【石破茂・自民党総裁選出陣式】YOUTUBE 2012年10月閲覧。〕。同年12月26日に成立した第2次安倍内閣において、防衛大臣政務官に就任。 2013年7月21日、第23回参議院議員通常選挙で自由民主党の比例区公認候補として立候補し、326,541票を獲得して党内3位で再選。 2014年9月、自由民主党国防部会長に就任〔自民、国防部会長に佐藤正久氏 〕。 2016年1月4日、参議院外交防衛委員長に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤正久」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Masahisa Sato 」があります。 スポンサード リンク
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