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鬼室福信 : ミニ英和和英辞書
鬼室福信[きしつ ふくしん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おに]
 【名詞】 1. ogre 2. demon 3. it (i.e. in a game of tag) 
: [しつ, むろ]
 【名詞】1. greenhouse 2. icehouse 3. cellar, cell
: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

鬼室福信 : ウィキペディア日本語版
鬼室福信[きしつ ふくしん]
鬼室 福信(きしつ ふくしん、生年不詳 - 663年)は、百済の王族・将軍。義慈王の父である第30代武王(余璋)の甥。官位は恩率(三品官)、のち佐平(一品官)。鬼室氏の祖となる。没した2か月後白村江の戦い倭国と百済の連合軍が大敗した。扶余福信
義慈王時代の660年新羅の連合軍(唐・新羅の同盟)によって百済が滅亡した後も、旧臣らを糾合して抵抗運動を続け、百済の故都である泗沘城(現・忠清南道扶余郡)の奪還を試みた。この頃、義慈王の王子であった余豊璋は、倭国との同盟の人質として倭国に滞留していたが、鬼室福信ら遺臣は、百済復興の旗印として擁するため豊璋の帰国と、倭国の軍事支援を求める。斉明天皇中大兄皇子は快くこれを了承し、積極的に百済復興を支援することとし、翌年正月には斉明天皇自ら、筑紫へ遠征する運びとなった。
== 『百済本紀』・『旧唐書百済伝』 ==
三国史記』28巻百済本紀、『旧唐書』199巻上百済伝 では、豊璋は翌662年5月に入国した。このとき福信は王を迎えに出て、国政をみな委ねた。倭国はこの後も福信あてに軍需物資を送り、福信も捕虜の唐人続守言らを倭国に送った。7月、扶余豊(扶余豊璋)は福信が自分を殺そうとしていることを察知し、逆に、これを殺した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鬼室福信」の詳細全文を読む




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