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魏 益三(ぎ えきさん)は中華民国の軍人。奉天派、国民軍、直隷派と渡り歩き、最後は国民革命軍に加わった人物である。字は友仁。 == 事跡 == 1914年(民国3年)11月、保定陸軍軍官学校第1期砲兵科を卒業。1917年(民国6年)、北京陸軍大学第5期に入学する。その後、保定陸軍軍官学校で教官となり、さらに西北辺防軍で軍務についた。1921年(民国10年)、東北に赴き、東北陸軍第3混成旅参謀長に任ぜられる。1924年(民国13年)、第27師参謀長となった。〔徐主編(2007)、2689-2690頁。〕〔劉主編(2005)、2463頁。〕 1925年(民国14年)11月、郭松齢に従って張作霖打倒の兵をあげ、東北国民軍第5軍軍長兼砲兵司令となる。翌月、郭が敗死すると、魏益三は馮玉祥率いる国民軍に合流し、国民軍第4軍軍長に任ぜられた。しかし1926年(民国15年)3月に国民軍が敗北すると、魏は国民軍を離れ、自軍を「正義軍」と自称する。〔郭主編(1990)、408頁によると、このときに魏は山西省の閻錫山に降伏した、とある。〕その後、呉佩孚に降伏し、14省討賊聯軍第4軍総司令に任ぜられた。1927年(民国16年)初めに、靳雲鶚率いる河南保衛軍に加わり、副司令兼第2方面軍軍長となる。〔徐主編(2007)、2690頁。〕〔 同年末、魏益三は靳雲鶚に従い国民政府側に易幟する。その後蒋介石による再編を受け入れ、魏は国民革命軍第30軍軍長、国民革命軍第4集団軍総司令部総参議に任ぜられた。1928年(民国17年)の第2次北伐に参加し、第32軍軍長に任命されている。同年5月、軍事委員会委員にも任ぜられた。1930年(民国19年)3月、軍事参議院参議となる。1935年(民国24年)4月、陸軍中将銜を授与された。1938年(民国27年)3月、軍事参議院諮議となる。1944年(民国33年)、軍政部栄誉軍人総管理処処長に任ぜられた。〔〔このほか、第11戦区長官部顧問、国防部中将部員などを歴任している。〔北京市人民政府参事室ホームページ。〕 国共内戦末期に、魏益三は雲南省で何らかの職務に就いていた模様である。しかし1949年(民国38年)12月、雲南省政府主席盧漢が起義(反国民党蜂起)を決行した際に、魏は盧に捕縛されてしまった。〔その後釈放され、中華人民共和国で北京市人民委員会専員などを歴任した。1964年、死去。享年81。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「魏益三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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