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魏 続(ぎ ぞく/き しょく、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。 == 正史の事跡 == 呂布配下。呂布の縁戚関係にあったことから重用された〔盧弼『三国志集解』が引く『英雄記』より。〕。呂布が高順を疎んじるようになると、呂布は高順の兵を魏続に率いさせ、魏続の兵を高順に率いさせている。 建安3年(198年)12月、呂布が曹操の猛攻に遭って下邳城に追いつめられると、同僚の宋憲・侯成らと共謀して陳宮を捕縛し〔『後漢書』呂布伝によると、魏続らは、この時に高順も捕縛している。〕、曹操に寝返った。これが契機となって下邳は落城し、呂布軍は滅亡した。 呂布滅亡後、史書に魏続の名は見当たらない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「魏続」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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