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魏舒[ぎじょ]
魏舒(ぎじょ、? - 紀元前509年)は、中国春秋時代の晋の武将、政治家。姓は姫、氏は魏、諱は舒、諡は献。魏絳(魏荘子)の孫で魏嬴の子〔『史記』魏世家より。『春秋左氏伝』では魏絳の子とされる。〕。平公、昭公、頃公に仕えた。魏献子と呼ばれる。 == 生涯 ==
=== 板挟み === 魏舒は父親の魏嬴が早世したため、祖父の魏絳の引退後に家督を継いで平公の下に出仕する。しかし、その当時は士匄(范宣子)と欒盈(欒懐子、『史記』では恵帝を避諱して欒逞)の勢力争いの真っ最中であり、魏舒は祖父の魏絳が欒盈の父の欒黶(欒桓子)の下で下軍の佐を勤めていた関係で欒盈とも親しい間柄にあった為、難しい立場に立たされていた。 その後、晋を追放された欒盈が紀元前550年4月に斉の荘公光の支援を受けて晋に攻め入った時は、それに呼応しようと軍を整えていたが、そこへ士匄の子の士鞅(范献子)が現れ、魏舒は無理やり晋公宮へと連れて行かれてしまった。この時魏舒は、欒盈から天運が去った事を察知して士匄の陣営に鞍替えし、結果欒盈は敗死した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「魏舒」の詳細全文を読む
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