|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 魔 : [ま] 【名詞】 1. demon 2. devil 3. evil spirit evil influence ・ 魔女 : [まじょ] 【名詞】 1. witch ・ 女 : [じょ] 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter ・ 審判 : [しんぱん] 1. (n,vs) refereeing 2. trial 3. judgement 4. judgment 5. umpire 6. referee ・ 判 : [ばん] (n,n-suf) size (of paper or books)
魔女狩り(まじょがり、、、)は、魔女または妖術〔社会人類学では、エヴァンズ=プリチャードによる南スーダンのアザンデ族の研究以降、病などの不幸の原因を説明する概念としての呪術 (magic) を邪術 (sorcery) と妖術 (witchcraft) に区別することが行われている。前者は何らかの物質や道具などを用いて意図的に他者に害を及ぼそうとする技術であり、後者は特定の人に宿る力が非意図的に他者に災いをもたらしてしまうことである。これを行使するとされる者にはそれぞれ邪術師 (sorcerer)、妖術師 (witch) という術語が当てられる。しかし、そのような意味での邪術と妖術の区別は、ヨーロッパの歴史においては明確でなかった。一般に魔女と翻訳される西洋のウイッチは、主にここでいう邪術を使う者を指していたと言ってよい(『宗教学辞典』 東京大学出版会、683頁)。また、文化人類学以外の分野では魔法と魔術などさまざまな訳し方があり、統一的な訳語は定まっていない。そういったことを考慮して、ここでは文化人類学でいう邪術と妖術とを併せて広義の妖術として一括する。〕の被疑者に対する訴追、裁判、刑罰、あるいは法的手続を経ない私刑等の一連の迫害を指す。妖術を使ったと疑われる者を裁いたり制裁を加えることは古代から行われていた。ヨーロッパ中世末の15世紀には、悪魔と結託してキリスト教社会の破壊を企む背教者という新種の「魔女」の概念が生まれるとともに、最初の大規模な魔女裁判が興った。そして初期近代の16世紀後半から17世紀にかけて魔女熱狂とも大迫害時代とも呼ばれる魔女裁判の最盛期が到来した。現代では、歴史上の魔女狩りの事例の多くは無知による社会不安から発生した集団ヒステリー現象であったと考えられている。 かつて魔女狩りといえば、「12世紀以降キリスト教会の主導によって行われ、数百万人が犠牲になった」というように言われることが多かった。このような見方は1970年代以降の魔女狩りの学術的研究の進展によって修正されており、「近世の魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく民衆の側にあり、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人が処刑された〔長谷川 (2012)〕」と考えられている。日本語では「魔女」と称されるため誤解されやすいが、犠牲者の全てが女性だったわけではなく、男性も多数含まれていた。 妖術に対する恐れは過去のヨーロッパのみならず多くの社会に普遍的にみられる人類学的事象であり、20世紀以降もアフリカ、パプアニューギニア、インドなどで妖術の容疑者に対する迫害が行われたことが報告されている〔ベーリンガー, 長谷川訳 (2014), p. 325.〕。それら非ヨーロッパ諸国の現代の魔女狩りとヨーロッパの歴史的魔女狩りとの類似点に鑑み、魔女狩りの定義を拡大適用して時代や地域の限定から解き放つ必要が生じている〔ベーリンガー, 長谷川訳 (2014), p. 8.〕。 ==ヨーロッパにおける魔女狩り== 古代以来、何らかの超自然的な手段で他者を害することのできる人がいると信じられていた。ヨーロッパにおいてこの信仰はラテン語でと呼ばれる「害悪魔術」の概念につながっていく〔「悪行」を意味するラテン語の maleficium は、古代ローマで遅くとも4世紀には妖術を意味する言葉としても使われるようになり、その概念は中世ヨーロッパに引き継がれた(コーン, 山本訳 1983, p. 199)。〕。 ギリシア語のパルマコン (pharmakon) は医薬と毒薬という両義性をもつ言葉で、これから古代ギリシアで妖術に相当するパルマケイア (pharmakeia) という言葉が派生した(パルマケウス pharmakeus、女性形パルマケウトリア pharmakeutria は薬師、毒殺者、妖術師を意味する)。イオニアの古代都市テオースで、毒ないし悪しきまじない (pharmaka deleteria) で人や国家に危害を加える者は死すべし、という禁令があったことを示す史料があり、他の都市にも同様の掟があったと考えられる〔黒川 (2011), p. 15.〕。 古代ローマでは害悪魔術は犯罪として処罰の対象であった。共和制ローマの最初期の成文法「十二表法」では、超自然的な方法で他人の畑作物を自分のものにする行為などに対する刑罰が規定されていた。リウィウスの『ローマ建国史』によると、疫病で多数の死者が出た前331年に、170人がウェネフィキウム(veneficium、毒殺ないし妖術)の嫌疑をかけられて処刑された。さらに前2世紀には妖術の廉で数千人規模の人々が処刑される事件が数回起こったという(前184年に約2千人、前182-180年に約3千人)〔ベーリンガー, 長谷川訳 (2014), p. 75.〕。これらの事例には、社会不安の高まりがパニックを引き起こしたことや拷問の横行など、後のヨーロッパの魔女狩りと同様の特徴がみられる。 中世ヨーロッパでも、暴力や窃盗と並んで「呪術によって出た害」も裁きの対象となっていたが、世俗的な犯罪としての妖術には特別重い刑が科されるというわけでなく、他の犯罪と同じように被害に応じた刑が科せられていた。また、同じ呪術でも良い目的に用いられると考えられたもの、いわゆる白魔術は一般的に良いものとみなされていた。中世ヨーロッパの各地では、刑事裁判も民事裁判と同様に告発的訴訟手続を通じて行われており、原告と被告の当事者が対等の立場で争い、地元の有力者が参審人として不文律的な慣習法に基づいて判決を提案するという形式が取られていた。告訴する側が被告の有罪を証明して裁判官に認めさせることに失敗すると、告発者の方が罰を受けなければならなかった(同害刑法)。被告の無罪を証明する方法として神判や決闘が行われることもあった〔神判の一つに、縛られた被告を水に投入し、浮けば有罪、沈めば無罪とする水審がある。このような試罪法は迷信として否定されたが、水審は魔女裁判では広く用いられ、被告が自ら身の潔白を示すために申し出ることがあった。沈んでも引き上げることができるように、通常は水審を受ける者にロープが取り付けられた(牟田 2000, pp. 103-107)。〕。記録に残る中世の妖術裁判の事例が少ないのは、そのような訴訟手続では妖術師を裁くことが困難であったためではないか、とノーマン・コーンは論じている。一方、中世の民衆が行った妖術師に対する私刑については、年代記等にさまざまな事例が記録されている〔コーン, 山本訳 (1983), 第8章.〕。 かつて「魔女狩り」といえば、「中世ヨーロッパにおいて12世紀のカタリ派の弾圧やテンプル騎士団への迫害以降にローマ教皇庁の主導によって異端審問が活発化し、それに伴って教会の主導による魔女狩りが盛んに行われるようになり、数百万人が犠牲になった」などと語られることが多かった。しかし1970年代以降、さまざまな研究によってこのようなステレオタイプな見方は覆されることになった。ノーマン・コーンとリチャード・キークヘファー (Richard Kieckhefer) はそれぞれ独自に、それまで14世紀前半の南仏で大規模な魔女迫害が起こったと言われていたのは、実は19世紀の小説家ラモト=ランゴンの空想の産物を歴史家が真に受けたものにすぎない、ということを明らかにした〔デッカー, 佐藤・佐々木訳 (2007), p. 40. コーン, 山本訳 (1983), 第7章.〕。実際には、記録に残っている最初の大規模な魔女裁判が起こったのは中世も終わりに近づいた15世紀前半のことであった〔コーン, 山本訳 (1983), 第12章.〕。異端の追求は行っていても、呪術の問題は管轄外であった異端審問官が魔女狩りとかかわりを持つようになるのは、15世紀に入ってからのことである〔中世のカトリック教会において占術や呪術は取り除くべき迷信とされたが、13-14世紀の異端審問官が民衆の呪術的行為に積極的に介入することはなかった。教皇アレクサンデル4世は1258年に、異端審問官が占術や呪術の件を扱うのは、それが異端であることが明らかな場合に限ると定めた(デッカー, 佐藤・佐々木訳 2007, pp. 16-17)。〕。また、15世紀の初期の魔女裁判においても、審問を行ったのは必ずしも異端審問官ではなく、司教裁判所や世俗裁判所が異端審問的/糾問主義的な裁判手続をもって執行する場合もあった。ヨーロッパ大陸では、中世から続く当事者主義的な訴訟手続は、司直が職権として訴訟を開始し判決までを取り仕切る糾問主義的な訴訟手続に取って代わられた。教会法廷の扱う魔女裁判はやがて減少し、魔女裁判の最盛期には世俗法廷で行われるものが大半となった。この時代、ドイツの一部の村では「委員会」という組織が結成され、住民を代表して魔女を告発するだけでなく、証人を尋問したり、領邦裁判所に圧力をかけるなどして魔女迫害を推進した。イングランドでは国王の任命した職業的裁判官が各地方の巡回裁判所で魔女裁判を行った〔黒川 (2014), pp. 186-187.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「魔女狩り」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Witch-hunt 」があります。 スポンサード リンク
|