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魚谷忠[うおたに ただし] 魚谷 忠(うおたに ただし、1897年?〔1981年3月20日放送の『ラジオ第二放送 50年のあゆみ 』へ出演した当時の年齢が84歳であることからの逆算。〕 - 没年不詳)は、日本のアナウンサー。 日本放送協会関西支部(大阪放送局)に所属し、1927年の第13回全国中等学校優勝野球大会において実況中継を担当したことで、日本の放送史上初のスポーツ実況アナウンサーとなった。 == 略歴・人物 == 大阪府で生まれ育つ。1916年、第2回全国中等学校優勝野球大会に市岡中学の三塁手として出場し、準優勝している。関西学院高商部に進学後も野球に打ち込む。 関学卒業後、銀行に就職。3年間〔『日本スポーツ放送史』pp.17-24〕勤務するうち、大阪放送局(JOBK)のアナウンサー募集の記事を見て応募を決意するが、保証人が必要だったために、勤務先の支店長に相談し、快諾した支店長が保証人になったという。1926年5月にJOBKに入局。 退職後の1987年3月31日に、第59回選抜高等学校野球大会に母校が出場した際の中継放送のゲストとして招かれたのが、確認できる最後の活動である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「魚谷忠」の詳細全文を読む
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