翻訳と辞書
Words near each other
・ 魯山
・ 魯山人
・ 魯山君
・ 魯山大仏
・ 魯山県
・ 魯州
・ 魯悉達
・ 魯智深
・ 魯會燦
・ 魯淑
魯滌平
・ 魯爽
・ 魯王
・ 魯班尺
・ 魯班路駅
・ 魯甸
・ 魯甸地震
・ 魯甸県
・ 魯県
・ 魯県 (江蘇省)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

魯滌平 : ウィキペディア日本語版
魯滌平[ろ じょうへい]

魯 滌平(ろ じょうへい)は中華民国の軍人。湖南軍(湘軍)に属し、後に国民革命軍国民政府)に参加した。詠安。別号は無煩
== 事跡 ==
22歳で湖南兵目学堂に入学し、卒業後は湖南新軍に加入した。辛亥革命時には、革命派として参加している。中華民国成立直後に湖南陸軍第6団団長となった。1916年民国5年)には独立第3旅旅長に、1922年(民国11年)には湖南軍第2師師長へと昇格した。
湖南省での譚延闓趙恒惕との抗争では、魯滌平は当初中立を保っていた。しかし、部下同士の抗争から次第に趙との対立を深め、譚に接近していく。1923年(民国12年)11月には、譚から湖南討賊軍第2軍軍長兼湘軍総指揮に任命された。しかし、趙との戦いに利無く、譚とともに広州孫文(孫中山)を頼った。
1924年(民国13年)3月、魯滌平は大元帥孫文から禁煙督弁に任命された。同年10月、湖南建国軍(湖南討賊軍を改組)第2軍軍長兼大本営禁煙督弁となる。1925年(民国14年)、湖南建国軍が国民革命軍に改組され、魯滌平は第2軍副軍長となった。1926年(民国15年)7月の北伐においては、第2軍軍長代理兼右翼指揮に任じられる。翌年5月に正式に第2軍軍長となった。
1928年(民国17年)5月、魯滌平は武漢国民政府から湖南省政府主席に任命され、中国共産党掃討工作(「清郷剿共」)を推進した。翌年1月、第8師師長を兼任し、さらに討逆軍第5軍軍長に昇進した。3月、中国国民党第3期候補中央執行委員に選出され、4月には武漢衛戌司令となった。
同年8月、江西省政府主席兼第9路軍総指揮に任命された。この際に魯は、紅軍対策として行政督察専員制度を初めて導入し、後に楊永泰により国民政府において大々的に採用されている。1931年(民国20年)12月、浙江省政府主席に任じられ、3年間その地位にあった。1934年(民国23年)12月、軍事参議院副院長に就任する。
1935年(民国24年)1月24日〔高原「魯滌平」は、1935年1月31日死去としている。〕、南京において病没。享年49(満47歳)。死後、陸軍上将の位を追贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「魯滌平」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.