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鮎川 盛長(あゆかわ もりなが、 生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。通称は孫次郎。父は鮎川清長。養子に秀定。大葉沢城主。揚北衆。 鮎川氏は揚北衆と呼ばれる越後国北部の国人で越後岩船郡を領する。 本家筋にあたる同族本庄氏が度々上杉氏と対立した際は、常に上杉側に付いて本庄氏と戦った。しかし殆どの戦において本庄氏には勝てなかった。 天正6年(1578年)の御館の乱では、本庄繁長が上杉景勝側に与したため盛長は上杉景虎側に加勢する。景虎方は敗れたが盛長は帰参を許される。御館の乱の論功行賞のこじれによって新発田重家の乱が勃発した際、どちらにも与せず静観を決め込んだため没落した。 盛長には嗣子がなく、越中国の神官二宮長恒の子・秀定を養子とした。秀定は加賀国前田氏に仕えたが、秀定の後を継いだ信重(本庄長房の子)が寛永16年(1639年)に上杉定勝に仕え上杉氏の家臣に復帰した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鮎川盛長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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