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鮫島重雄 : ミニ英和和英辞書
鮫島重雄[さめしま しげお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さめ]
 (n) shark
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

鮫島重雄 : ウィキペディア日本語版
鮫島重雄[さめしま しげお]

鮫島 重雄(さめしま しげお、嘉永2年9月6日1849年10月21日) - 昭和3年(1928年4月17日)は、日本の陸軍軍人陸軍大将正三位勲一等功二級男爵
==経歴==
薩摩藩士鮫島藤兵衛の次男として生まれる。
1871年(明治4年)、御親兵として陸軍入り。1873年(明治6年)1月から陸軍教導団に入営し、同6月陸軍伍長1874年(明治7年)3月陸軍士官学校生徒、同9年陸軍少尉試補・東京鎮台附。台湾出兵に際して台湾蕃地征討軍に編入される。1875年(明治8年)3月、陸軍工兵少尉に任官、1877年(明治10年)2月から西南戦争に出征する。4月に工兵中尉に進んで第1旅団参謀を命ぜられるが、同10月帰還する。
1878年(明治11年)2月から工兵第1大隊中隊長に移り、1879年(明治12年)3月参謀本部管西局員、1881年(明治14年)4月工兵大尉1883年(明治16年)2月には近衛師団参謀を命ぜられる。1885年(明治18年)7月に工兵第3大隊長心得、1886年(明治19年)3月陸軍大学校副幹事心得を経、同5月工兵少佐に進んで陸軍大学校副幹事。1887年(明治20年)6月監軍部参謀。1889年(明治22年)近衛師団参謀を経て、1894年(明治27年)6月18日工兵大佐・近衛師団参謀長に進んで1895年(明治28年)4月から日清戦争に出征する。日清戦後は中部都督部参謀長、1897年(明治30年)9月28日には陸軍少将に任官。
1900年(明治33年)4月25日に由良要塞司令官に就任し、1902年(明治35年)5月5日東京湾要塞司令官に移る。1904年(明治37年)9月5日に陸軍中将として大本営附を命ぜられて同10月日露戦争に出征する。戦中の12月1日第11師団長を拝命し、1906年(明治39年)4月1日勲一等旭日大綬章を受章。同7月6日第14師団長に移る。1907年(明治40年)9月21日、日清・日露戦役の軍功により男爵を授爵。1911年(明治44年)9月6日、陸軍大将昇任と共に後備役編入となる。1916年(大正5年)4月1日に退役した〔『官報』第1102号、大正5年4月7日。〕。
1928年(昭和3年)薨去。重雄に後継者はなく、爵位は継承されなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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