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鮫河橋(さめがはし)は東京都新宿区にあり、桜川支流鮫川に架けられていた橋、及びその周辺地名。現在の新宿区若葉二、三丁目、南元町一帯を指す。JR中央本線信濃町駅東側の高架に沿う部分を特に千日谷といった。 江戸時代は岡場所、明治時代は東京市下最大の貧民窟として知られた。 == 名称の由来 == 多く鮫ヶ橋とも表記する。架かる川も鮫川と呼ばれるが、いずれの名が先かは不明。千駄ヶ谷寂光寺鐘銘に「鮫が村」とあり、往古村名でもあった可能性がある〔『江戸名所図会』〕。 『紫の一本』では字義により鮫と結び付けられ、古くは海岸線が高く、橋下まで海水が進入し、鮫が見られることがあったからだとされた。この他にも、往古四谷一帯は潮踏の里と称し、鮫河橋付近は豊島の入江と呼ばれたなどと伝えられ、元鮫河橋北町の通称入(いり)という地名はこれに由来し、その橋は入江の橋と呼ばれるなど、傍証が多く言い伝えられているが、伝承が伝承を呼んだものと思われる。 『江戸砂子』では、目の白い馬を𩥭(さめうま)と称することから〔『書言字考節用集』〕、馬と結び付けられるようになった。『江戸砂子』では「牛込行願寺の僧が𩥭馬で曼供塚〔比定地不明〕に通っていたが、この橋より転落死してさめ馬ヶ橋と称したとする。『再校江戸砂子』では、普段は小流だが、谷の地形のため雨天時にのみ増水し橋が必要となるため雨(さめ)ヶ橋の意であると考察した。 更に下って『文政町方書上』では、源義家の馬とする説のほか、徳川家康秘蔵の駮馬を千駄ヶ谷村に埋葬する際にこの川に落ちたという説を加え、後者が有力とする。 近代では、『大日本地名辞書』が冷水(さみず)の略と考察した。また、地元の郷土史家は、鮫洲と同様真水(さみず)の意で、海浜の近い当時貴重だったことから命名されたとする〔長尾保二郎「四谷・鮫ケ橋放談(十)」『帰仁』21号、昭和42年7月〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鮫河橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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