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第5師団(だいごしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 1873年(明治6年)に設置された広島鎮台を母体に1888年(明治21年)5月14日に編成された。島根・広島・山口出身の兵隊で編成され衛戍地を広島とする師団である。 なおマレー作戦後の1942年(昭和17年)にフィリピン攻略の増援として、歩兵第9旅団司令部及び歩兵第41連隊基幹の河村支隊を編成、その後歩兵第41連隊(福山)は、堀井富太郎少将指揮の南海支隊に編入され、第5師団は三単位師団に改編された。 == 概要 == === 明治・大正期 === 1894年(明治27年)7月の日清戦争では他の師団に先駆けて大島義昌少将指揮の大島旅団を編成し派遣した。大島旅団は京城南方で清国軍と交戦した。この戦闘は僅か1日で決着がつき日本軍の勝利であったが、これは明治維新以後初めて日本の軍隊が外国軍と交戦したものである。旅団はこの後平壌攻略戦・鴨緑江渡河作戦・牛荘の戦いに参加した。 北清事変では義和団鎮圧に出動し、8か国連合軍の中核となった。日露戦争では沙河会戦・奉天会戦に参加し、1911年(明治44年)から2年間、満州駐剳を命ぜられ、同年4月30日に師団司令部は遼陽へ移転し5月1日より事務を開始〔『官報』第8363号、明治44年5月11日。〕。1913年(大正2年)4月19日、師団司令部が帰還した〔『官報』第220号、大正2年4月26日。〕。1919年(大正8年)にはシベリア出兵に参加し、同年8月24日に全部がシベリアに到着〔『官報』第2121号、大正8年8月29日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第5師団 (日本軍)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 5th Division (Imperial Japanese Army) 」があります。 スポンサード リンク
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