|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 鳥 : [とり] 【名詞】 1. bird 2. fowl 3. poultry ・ 鳥居 : [とりい] 【名詞】 1. torii (Shinto shrine archway) ・ 倍 : [ばい] 1. (n,vi,vs,vt) twice 2. times 3. -fold 4. double 5. doubled 6. increase
鳥居 清倍(とりい きよます、元禄7年〈1694年〉? - 享保3年〈1718年〉?)とは、江戸時代初期の浮世絵師。 == 来歴 == 生年については元禄5年〈1692年〉ともいわれ、『鳥居画系譜稿』では生年を元禄4年〈1691年〉とする。鳥居派を代表する浮世絵師のひとりであり、鳥居派の祖といわれる鳥居清信の長男とも、また弟ともいわれているがそれを確定する資料はない。通称は庄二郎。あまり詳しいことがわかっていないが宝永7年(1710年)頃から享保3年(1718年)頃にかけて活躍したと見られ、主要な作品は正徳年間に多く集中しており、主に丹絵、漆絵で役者絵、美人画の他、花鳥画、武者絵、七福神などを描いている。強い清信の画風を完成させる一方、艶麗柔軟な作品も残す。例えば「日本嬋娟画」と肩書きをつけて女形の作品を描くなど、新しい境地を開拓しつつあった。鳥居派の代表的な画法「ひょうたん足みみず描き」(瓢箪足蚯蚓描)を大成したともされ、代表作には「市川團十郎の竹抜き五郎」、「草摺引」、「市川團十郎の暫」、「市川團十郎・山中平九郎の象引」等があげられる。清倍は肉筆画も手がけており、肉筆美人画では、宝永-正徳期の作品「見立紫式部図」(出光美術館所蔵)が良く知られている。 没年は正徳6年(1716年)とも、または享保3年ともいわれておりこれも詳らかではない。墓所は豊島区の染井墓地、法名は一山道無宗林日浄信士。忌日は5月25日。清倍の名を継いだ二代目鳥居清倍(宝永3年〈1706年〉 - 宝暦13年11月2日〈1763年12月6日〉〔日経アート 1995年10月号〕)は清信の女婿である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鳥居清倍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|