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鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、サンスクリット:Kumārajīva, कुमारजीव、クマーラジーバ、344年 - 413年〔「世界大百科事典 第2版」2006年 平凡社〕、一説に350年 - 409年とも)、亀茲国(きじこく)(新疆ウイグル自治区クチャ県)の西域僧、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧である〔井波律子(編集)「中国史重要人物101」2005年 新書館 ISBN 4403250203〕。最初の三蔵法師。のちに玄奘など、多くの三蔵法師が現れた。時にのちの玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗・成実宗の基礎を築く。 漢名の鳩摩羅什(くまらじゅう)はサンスクリット名のクマーラジーヴァの音写である〔。略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。 ==略歴== *350年 インドの名門貴族出身でカシミール〔P. 115 ''Chinese religions'' By David Howard Smith〕生まれの(サンスクリット:Kumārāyana)を父に、亀茲国王の妹のジーヴァカ(サンスクリット:Jīva)を母として亀茲国に生まれる。 *356年 母と共に出家。 *360年代 原始経典や阿毘達磨仏教を学ぶ。 *369年 受具し、須利耶蘇摩と出会って大乗に転向。主に中観派の論書を研究。 *384年 亀茲国を攻略した後涼の呂光の捕虜となるも、軍師的位置にあって度々呂光を助ける。以降18年、呂光・呂纂の下、涼州で生活。 *401年 後秦の姚興に迎えられて長安に移転。 *402年 姚興の意向で女性を受け入れて(女犯)破戒し、還俗させられる。以降、サンスクリット経典の漢訳に従事。 *409年 逝去。 :臨終の直前に「我が所伝(訳した経典)が無謬ならば(間違いが無ければ)焚身ののちに舌焦爛せず」と言ったが、まさに外国の方法に随い火葬したところ、薪滅し姿形なくして、ただ舌だけが焼け残ったといわれる(『高僧伝』巻2)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鳩摩羅什」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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