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鳴門フェリー : ミニ英和和英辞書
鳴門フェリー[なるとふぇりー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

鳴門 : [なると]
 【名詞】 1. steamed fish-paste cake, sliced to decorate soup (type of kamaboko) 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

鳴門フェリー : ウィキペディア日本語版
鳴門フェリー[なるとふぇりー]
鳴門フェリー(なるとフェリー)は、かつて兵庫県淡路島南淡町(現在の南あわじ市)と徳島県鳴門市の間の鳴門海峡にあったフェリー航路
== 概要 ==
1954年(昭和29年)4月に徳島県の県営で航路開設。これは淡路島を通って四国阪神を結ぶトラック輸送の最短ルートとして、徳島県と兵庫県の両者が共同でそれぞれ開設した2航路の徳島側の航路である。就航船は若潮丸(両頭船、228トン、トラック10台積載、所要時間50分)


。日本で最初の本格的なフェリーとも言われる

日本道路公団が設立された1956年(昭和31年)4月からは国道28号海上国道公団鳴門フェリーとして運航された。その後、需要に応じて1958年(昭和33年)3月には若鳥丸(263トン)が、1961年(昭和36年)11月にはあさかぜ丸(276トン)が就航。
1961年(昭和36年)に洲本市岬町1963年(昭和38年)に北淡町(現在の淡路市)と明石市と、淡路島と阪神間に航路が増えると1日12便しかない徳島側は飽和してしまい、毎便のように積み残しが出るようになった。
1965年(昭和40年)4月に徳島側の輸送力増強のために民営の鳴門海峡フェリー(6km/20分)が阿那賀港と亀浦港間に開設されて、阿那賀港へのうずしおラインが開通すると、本航路の利用は次第に減少しはじめる。
1978年(昭和53年)6月に明岩フェリーへ事業譲渡され、9月に廃止された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鳴門フェリー」の詳細全文を読む




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