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鵜殿 氏次(うどの うじつぐ、? - 慶長5年8月1日(1600年9月8日))は、戦国時代の武将。鵜殿長照の子。鵜殿氏長の弟。通称は藤三郎。 == 生涯 == 今川義元に臣従する鵜殿長照の子として生まれる。兄・氏長と共に『氏』の1字を許されているのは今川氏の血族でもあったため、今川氏真からの一字拝領を認められた、と考えられる。 永禄5年(1562年)、徳川家康に居城の上ノ郷城を攻められると落城。父・長照は戦死したが、氏長・氏次兄弟は捕縛された。 永禄5年(1562年)、松平氏の攻撃により上ノ郷城は陥落し父・長照や祖父の長持らは戦死、兄の氏長と氏次は捕縛された。家康は彼の身柄と引き換えに、今川氏に臣従していた時期に義元のもとへ人質として差し出していた正室の瀬名姫(築山殿)と嫡男の竹千代、長女・亀姫らを返還するよう今川氏に要求した(氏長の祖父・鵜殿長持の正室は今川義元の妹だったため、氏長および今川家に忠節を尽くす鵜殿家は、当時今川氏の当主であった氏真にとっては近しい親族に相当した)。 交渉は成立し、今川家に引き渡された氏次だったが、三河の故地・領国を失った氏長兄弟は遠江二俣城の松井宗恒のもとに身を寄せた。永禄11年(1568年)、武田信玄と呼応した家康が今川領に侵攻し、二俣城を攻めてくると、今川氏は東西から領国を奪われて消滅。氏長と氏次の兄弟は家康に降伏し以降は家臣として仕えた。氏次は従兄弟にあたる深溝城主・松平家忠へ預けられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鵜殿氏次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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