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「鶏頭の十四五本もありぬべし」(けいとうのじゅうしごほんもありぬべし)は、正岡子規の俳句。1900年9月に子規庵で行われた句会で出された句であり、新聞『日本』11月10日号に掲載、同年『俳句稿』に収録された〔宮坂、401頁〕。季語は鶏頭(秋)。「鶏頭が十四、五本もあるに違いない」ほどの意味で〔宮坂、405頁〕、一般に病に臥せていた子規が病床から庭先の鶏頭を詠んだ句だと考えられている。元来評価の分かれている句であり、昭和20年代にはこの句の評価をめぐって鶏頭論争と言われる論争が起こり〔金井景子 「鶏頭論争」『現代俳句ハンドブック』 187-188頁〕、以後も現代に至るまで俳人や歌人、文学者の間でしばしば論議の対象となっている。 == 成立 == この句はまず1900年9月9日、子規庵で高濱虚子などを含む計19名で行われた句会に出された。子規の病床で行われた例会は次回の10月14日を最後に行われておらず、以後も死去の年である1902年の2月上旬に一度行っただけなので、これが子規の生涯で最後から三番目の句会ということになる〔林、314頁〕。当日の句会では、まず第一回の運座にて一題一句で十題が出され、「娼妓廃業」「芋」「祝入学」「椎の実」「筆筒」「つくつく法師」などの題が出されたが、体調のためかあるいは興が乗らなかったのか、この運座では子規は「筆筒」の題に「筆筒に拙く彫りし石榴哉」一句を投じたきりであった〔林、317頁〕。 つづく第二回の運座では一題十句で「鶏頭」の題が出された(子規の句会でははじめの運座のあと一題十句を行うのが慣例であった〔宮坂、402頁〕)。子規庵の庭には中村不折から贈られたりした鶏頭が十数本実際に植えられており〔大岡、388頁〕、嘱目吟(実際に景を目にしながら作句すること)でもあったと考えられる〔林、317頁〕。子規はこのとき「堀低き田舎の家や葉鶏頭」「萩刈て鶏頭の庭となりにけり」「鶏頭の十四五本もありぬべし」「朝貌の枯れし垣根や葉鶏頭」「鶏頭の花にとまりしばつたかな」「鶏頭や二度の野分に恙なし」など計9句を提出している。いずれも写実的な句であり、「十四五本も」の句のみ例外的に観念臭がある〔宮坂、403頁〕。選では「十四五本も」の句は特に支持を集めておらず、参加者のうち稲青、鳴球の二人が点を入れたのみである〔林、338頁〕。高濱虚子は子規の句の中では「鶏頭や」の句を選んでおり、当日虚子が「天」(最上の句)としたのは三子の「葉鶏頭(かまつか)の根本を蟻のゆきゝ哉」であった〔林、322頁〕。 この2ヵ月後、「十四五本も」の句は「庭前」の前書き付きで『日本』11月10日号に掲載された。特に必要ないと思われる前書きをつけたのは、難しくとらず写生句として読んで欲しいという作者の思いからだと思われる〔宮坂、403頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鶏頭の十四五本もありぬべし」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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