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鶴ヶ濱増太郎(つるがはまますたろう、1893年7月19日 - 1939年1月16日)は日本の大相撲力士。奈良県北葛城郡當麻町(現在の葛城市)出身。荒磯部屋(当初は中立部屋)所属。本名は西本増太郎。身長178cm、体重105kg。最高位は西小結。得意手は右四つ、吊り、泉川、突っ張り。 == 来歴 == 1911年(明治44年)2月場所に「大鶴」の四股名で初土俵を踏んだが病に罹り帰郷、間もなくして「若ノ川」の四股名で大坂相撲に出ていた。1912年(明治45年)5月場所で東京相撲に復帰し三段目から再出発、1918年(大正7年)1月場所で新十両。1921年(大正10年)1月場所で入幕すると、入幕3場所目の1922年(大正11年)1月場所、東前頭4枚目で源氏山(のちの横綱3代西ノ海)・千葉ヶ嵜の両大関を破るなど9勝1敗の好成績で平幕優勝。 均整の取れた体格で足腰や腕力も強く、泉川や突っ張りを武器に期待されたもののその年の東西合併相撲で足を怪我した事がもとで、その後は平凡な成績のまま1926年(大正15年)5月場所を最後に引退、年寄・玉垣を襲名した。一方で千葉県市川市で料亭を経営していた。 東京都世田谷区の妙寿寺に墓所がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鶴ヶ濱増太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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