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鶴丸 睦彦(つるまる むつひこ、1901年10月10日 - 1989年7月5日)は、日本の俳優。本名は松井 睦彦。 == 来歴・人物 == 1901年(明治34年)10月10日、鹿児島県鹿児島市に医師の父・文蔵の6人兄妹の長男として生まれる〔『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年、p.378〕。早稲田高等学院卒業後の1923年(大正12年)に渡米し、その後エル・グレコの絵を見たさに旅費をためてスペインに渡る〔〔鶴丸睦彦 、新撰 芸能人物事典 明治~平成、コトバンク、2014年12月3日閲覧〕。1927年(昭和2年)に帰国。左翼系劇団の美術部員から俳優に転じ、同年に佐々木孝丸、村山知義らの前衛劇場に入り、1928年(昭和3年)には東京左翼劇場、1934年(昭和9年)には新協劇団に参加する〔。1938年(昭和13年)、木村荘十二監督の『牧場物語』で映画に初出演する。 戦後は舞台で胸を打ったのが原因で肺を病み、療養所で生活していた。その間に劇団民藝に入団し、1953年(昭和28年)に民藝と近代映画協会の共同製作による『夜明け前』に療養所からスタジオ通いをして端役を演じる〔。翌1954年(昭和29年)には佐分利信監督の『叛乱』で北一輝という大役を演じ、以降も新藤兼人監督『どぶ』、今井正監督『ここに泉あり』などの独立プロ作品や『地獄の波止場』などといった日活作品に出演した。 舞台では『漁港』『審判』などに出演し、1961年(昭和36年)には『檻』の演技で芸術祭奨励賞を受賞。1977年(昭和52年)の『煙草の害について』では演出を務める。一風変った老人役に独特の味わいがあった〔。 1989年(平成元年)7月5日、肺炎のため死去〔『演劇年鑑』、二松堂書店、1990年、p.204〕。87歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鶴丸睦彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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