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笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ)は、上方落語の名跡。 * 初代 笑福亭鶴瓶(生年不詳 - 1944年2月)は、後の林家染八。初め4代目笑福亭松鶴の門下で、師が一旦芸界を離れた時に、2代目林家染丸の門下に移る。本名は金谷伊太郎。当代の命名時に松鶴もその存在を語り、2代目であると告げている。 * 笑福亭鶴瓶(当代) - 本項を参照。本来なら2代目に当たるが、当代は特に代数を名乗っていない。 ---- 笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年〈昭和26年〉12月23日 - )は、日本の落語家(6代目笑福亭松鶴門下)、タレント、俳優、歌手、司会者、ラジオパーソナリティである。本名、駿河 学(するが まなぶ)。あだ名は「べー師匠」「べーさん」、「まーちゃん」、「まなぶくん」、「鶴瓶師匠」、「鶴瓶ちゃん」。出囃子は「トンコ節」もしくは「新ラッパ」(かつては「拳」)。兵庫県在住。 2015年現在、6代目松鶴の6番弟子(上から順に笑福亭仁鶴や笑福亭鶴光、笑福亭福笑、笑福亭松枝、笑福亭呂鶴の兄弟子5人がいる)。弟子に笑福亭笑瓶、笑福亭晃瓶、笑福亭純瓶、笑福亭達瓶、笑福亭恭瓶、笑福亭瓶太、笑福亭銀瓶、笑福亭瓶吾、笑福亭瓶二、笑福亭瓶生、笑福亭由瓶、笑福亭鉄瓶、笑福亭べ瓶がいる。また、明石家さんまは従弟弟子にあたる。 所属事務所はデンナーシステムズ〔デンナーシステムズは元松竹芸能社員で鶴瓶のチーフマネージャーを担当していた千佐隆智が代表取締役を務める芸能プロダクション。東京・東麻布に所在し、ジャパン・ミュージックエンターテインメントの系列でもある(ただし、ウェブサイト上には掲載されていない)。主に東京・全国区方面でのマネジメントを担当しており、マネージャーもデンナーシステムズの社員が就いている。〕。松竹芸能にも籍を残している。落語家として上方落語協会副会長を2008年6月20日より務めている。 == 来歴 == === 生い立ち・学生時代 === 大阪府中河内郡長吉村長原(現在の大阪市平野区長吉長原)出身。5人兄弟の末っ子で浪速高等学校卒業。高校在学中、当時大阪で人気だった笑福亭仁鶴や桂三枝(現:6代目桂文枝)に刺激されて、高校に落語研究会を作る。 1961年(昭和36年)頃、学校へ行く途中で近所のおっちゃんに競馬場に誘われて、駿河学少年が適当に指名した馬券をおじさんが購入し、それが万馬券に化ける。驚き感嘆したおじさんは、約40万円の払戻金を丸々、学少年に手渡した。夜中に家族が寝静まった時を見計らい、貰ったお札を数えだしたが、その現場を母親に発見され大事に発展した。夜中にもかかわらず、競馬に連れ出した近所のおっちゃんをたたき起こし、事の顛末を聞き出したことにより、正式に駿河家のお金となった。後になってこの出来事を思い出し、母親にお金の使途を執拗に問質した所、実家の建て増し資金になっていたことが判明。この話をテレビ朝日の『徹子の部屋』で話したところ、さらに母親から叱られたという〔はやく人間になりたいッ! つるべのドガチャガ青春譜(徳間書店 1976年)第3章〕〔。 1969年(昭和44年)、頭のいい人間に対抗心を持っていたため、受験していない京都大学や、大阪大学の入試の合格発表に行き、落ちていそうな生徒の隣で「あった!」と合格したフリをして、胴上げされるという悪戯をする。この時、大阪大学でNHKの取材を受け、模様が夕方のニュース番組で流れたため、それを見ていた親戚から祝電が届くなど両親に恥をかかせてしまう〔〔。 京都産業大学経済学部に進学するも中退。大学時代は京都産業大学落語長屋という落語研究会に所属しており、童亭 無学(どうてい むがく)を名乗る。一時期はここでの芸名を本名であるスルガ・マナブやプロになってからtsurubeと名乗ったこともある。この落語研究会であのねのねの原田伸郎と出会い、清水国明を含めた3人で音楽活動をする(鶴瓶夫人も参加していた時期あり。後述)。大学生時代に、教授が教室に入る際に出囃子を鳴らして笑いを取ったことがある〔〔。 清水國明、原田伸郎、後に結婚する玲子夫人とともに、あのねのねのメンバーでもあり、ヤマハのコンテストにも出場した(鶴瓶は踊るだけ)。この時玲子夫人が『ひょっこりひょうたん島』のテーマを歌っている。清水とは下宿で共同生活を送った時期もあった。アルバイトは京都の修学旅行旅館「みきはん」で、歌や話芸で誰が一番人気か競いあったという。また、原田が大学時代にサークルをサボって女子生徒と遊んでいた所を目撃し、彼をトイレで殴って便器に顔を突っ込んだことがある。やがて、あのねのねがスターになり、鶴瓶の結婚式に二人が札束を持ってきたエピソードもよく語られる。鶴瓶の結婚式・披露宴の代金をあのねのねがすべて負担し、それでも余ったという〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笑福亭鶴瓶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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