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鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年1月3日 - 1973年11月1日)は、日本の官僚・政治家・著述家。岡山県生まれ。衆議院議員総選挙第16、19、20、21回当選。参議院議員選挙第3回当選。 == 来歴・人物 == 岡山中学、旧制一高をへて、東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)を恩賜の銀時計を得て、1910年に卒業、鉄道院に入る。内閣拓殖局、鉄道省運輸局総務課長を経て、1924年に退官。その後、1928年の第16回衆議院議員総選挙に旧岡山1区から無所属で立候補して衆議院議員に当選。小山邦太郎らとともに明正会結成に参画した。 1930年の第17回衆議院議員総選挙に落選したが、1936年に選挙区を旧岩手2区に移して立憲民政党公認で第19回衆議院議員総選挙に立候補して当選し、政界に返り咲く。以降政党解消まで民政党に所属した。米内内閣で内務政務次官に就任。翼賛政治会および大日本政治会の顧問としても活動。この間、1920年代後半から1930年代半ばころまでは太平洋問題調査会日本支部の中心メンバーとして、日米間の民間外交に大きく貢献、また1938年に設立された国策機関・太平洋協会においても運営の中心となった。国際会議で難しい内容の議論でさえ通訳は無用とされた英語の達者な人物でありスケールの大きな率直な人柄は周囲の信頼を集めた。第二次世界大戦後、日本進歩党幹事長に就任するも、公職追放の憂き目に遭う。 追放解除後、旧民政党系政治家が結集した民政旧友会の結成に参加。民政旧友会の分裂後は新政クラブに所属。1953年に第3回参議院議員通常選挙に全国区から改進党公認で立候補して当選し1期務めた。改進党内では旧民政党系左派の松村謙三・粟山博・小山邦太郎・中村三之丞・川崎末五郎・松浦周太郎らと行動をともにし、その後日本民主党の結成に参加。第1次鳩山一郎内閣では厚生大臣に就任した。保守合同で自由民主党が結成されてからは松村・三木派に所属した。 1973年、脳軟化症のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)18頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鶴見祐輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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