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鷲の門(わしのもん)は、徳島県徳島市徳島町城内の徳島中央公園にある、かつての徳島城の城門である。ただし実物は戦失し、現在の門は復元である。古い門は鷲ノ門・鷲之門・鷲御門などとも。 名の由来は、幕府に「鷲を飼う建物」として申請したためと伝えられるが、出所不明で〔「徳島城」編集委員会 編『徳島市民双書 28 徳島城』本田昇「第三章 徳島城 一 縄張」徳島市立図書館 1994年〕、真偽は定かでない〔河野幸夫『徳島 城と町まちの歴史』聚海書院 1982年〕。 == 旧 鷲の門 == === 建設 === 堀川の南に位置するこの付近は、徳島城築城時には城外だった。しかしその後、城の南に新しい曲輪「三木郭」(みきくるわ)が築かれ城内となった。その郭の門が鷲の門である。 三木郭・鷲の門が築かれたのは蜂須賀光隆の代 (在 1652–1666) とする文献もあるが、1989年の発掘調査でも文禄慶長期 (1592–1615) と推定される滴水瓦が出土しており、『阿淡年表秘録』の記述では1603年(慶長8年)に鷲の門に関する記述があるため、1603年にはすでにあったはずである〔。 三木郭には石垣や濠がなく、土倉のような建物で囲まれており、その東の一角に鷲の門があった。城の巽(南東)の端に位置し、東に面した、表口見附の門である。 様式は脇戸付き薬医門。南脇には御番所があった。 南北に伸びる御堀縁に面し、ほぼ正面から徳島本丁筋(現 国道192号)が東へ伸び、淡路街道・伊予街道・土佐街道など主要街道の起点となっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鷲の門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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