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鷲津 毅堂(わしづ きどう、文政8年11月8日(1825年12月17日) - 明治15年(1882年)10月5日)は、日本の学者、武士・尾張藩儒者、官吏。諱は宣光(のりみつ)。通称は郁太郎、貞助、九蔵。 曾祖父幽林は儒者。二女恆は永井久一郎に嫁いだ〔『日本の有名一族』、87頁。〕。童謡歌手の小鳩くるみは毅堂の弟・蓉裳の曾孫にあたる〔『日本の有名一族』、87-88頁。〕。毅堂の生涯は、外孫(久一郎の子)である作家・永井荷風の著書『下谷叢話』に詳しく述べられている。 == 略年譜 == * 1825年 - 尾張国丹羽郡丹羽村(現在の愛知県一宮市丹羽)出身 鷲津家は代々、郷士だった〔『下谷叢話』、12頁。〕 * 1845年 - 江戸の昌平校に学ぶ * 1867年 - 御物頭格に座席を進められ明倫堂督学に任ぜられる * 1868年 - 御広敷用人を仰付けられ御小納戸頭取を兼ねる、京師に新設せられた総裁局の徴士〔『下谷叢話』 - 徴士は列藩より人材を推薦して、新政府の事務に与(あずか)らしめたものをいう。『明治史要』戊辰二月の記事に「徴士ハ定員ナシ諸藩ノ士及都雛有才ノ者公儀ニ執リ抜擢セラル則(すなわち)徴士ト命ズ。」とある〕に抜擢される * 1869年 - 大学校少丞、陸前国登米県の権知事に任ぜられる * 1871年 - 司法省出仕を命ぜられ宣教判官に任ぜられる * 1881年 - 東京学士会院会員となる * 1882年 - 没する 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鷲津毅堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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