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鷲津毅堂 : ミニ英和和英辞書
鷲津毅堂[わしづ きどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [わし]
 【名詞】 1. eagle (Accipitridae family) 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

鷲津毅堂 : ウィキペディア日本語版
鷲津毅堂[わしづ きどう]
鷲津 毅堂(わしづ きどう、文政8年11月8日1825年12月17日) - 明治15年(1882年10月5日)は、日本学者武士尾張藩儒者官吏は宣光(のりみつ)。通称は郁太郎、貞助、九蔵。
曾祖父幽林は儒者。二女恆は永井久一郎に嫁いだ〔『日本の有名一族』、87頁。〕。童謡歌手小鳩くるみは毅堂の弟・蓉裳の曾孫にあたる〔『日本の有名一族』、87-88頁。〕。毅堂の生涯は、外孫(久一郎の子)である作家・永井荷風の著書『下谷叢話』に詳しく述べられている。
== 略年譜 ==

* 1825年 - 尾張国丹羽郡丹羽村(現在の愛知県一宮市丹羽)出身 鷲津家は代々、郷士だった〔『下谷叢話』、12頁。〕
* 1845年 - 江戸昌平校に学ぶ
* 1867年 - 御物頭格に座席を進められ明倫堂督学に任ぜられる
* 1868年 - 御広敷用人を仰付けられ御小納戸頭取を兼ねる、京師に新設せられた総裁局の徴士〔『下谷叢話』 - 徴士は列藩より人材を推薦して、新政府の事務に与(あずか)らしめたものをいう。『明治史要』戊辰二月の記事に「徴士ハ定員ナシ諸有才ノ者公儀ニ執リ抜擢セラル則(すなわち)徴士ト命ズ。」とある〕に抜擢される
* 1869年 - 大学校少丞、陸前国登米県権知事に任ぜられる
* 1871年 - 司法省出仕を命ぜられ宣教判官に任ぜられる
* 1881年 - 東京学士会院会員となる
* 1882年 - 没する

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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