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鷹爪翻子拳(ようそうほんしけん)は中国武術の少林拳の一種である。 == 歴史 == 本来、鷹爪翻子拳の源流は岳飛が武兵訓練用の武術として創始した「岳氏散手」と呼ばれる徒手武術が起源となっていると言うが、これはあくまで伝説に過ぎない。 しかし、明王朝の武将戚継光が記した対倭寇の兵法書「紀効新書」の中に著名な拳法門派として「鷹爪王之拿」の記述が有ることから、古代より鷹爪翻子拳の源流が実在した事になる。 源流となる「鷹爪拳」が歴史の舞台に出たのは清朝後期、北京にて著名となった武術家・劉仕俊からである。劉は数多く存在する北京の武術家と対戦、交流しその名前を首都に轟かす。劉の学ぶ武術こそ「鷹爪拳」(鷹爪門)と「鷹爪大杆子」と呼ばれるものであった。彼の口伝による鷹爪拳の歴史は、遊歴僧「法静」から始まる。 河北省雄県出身の劉仕俊は、近隣の保定市で盛んだった武術「シュアイジャオ」を学んでいたが貧しい生活のため寺や畑で一人稽古することが多かった。その時通りがかった法静と知遇を得て、初めて武術の伝承を得ることになる。 3年間にわたる厳しい稽古を終え、雄県を去る事になる法静が劉に初めて明かす武術の名称が、「鷹爪拳」と「大杆子」そして72種(108種とも言われる)の擒拿術であったと伝えられる。 さらに立ち去る時、法静は後年「麗泉」と名乗る遊歴僧が現れるから彼からも武術を学べと言い残した。程なく麗泉が劉の前に現れ、自分は法静の弟子であり老師の命により武術の伝承にやってきたと語った。麗泉はその後保定市に1年間逗留し、劉に鷹爪拳の武術や少林拳、各種の武器術を伝え、「鷹爪拳譜」と奪命打人法の秘術を記した書を与え雄県を去る。 後年、劉は各地で、保定市の名産であるタバコの葉の行商をしながら武術の試合や交流を行い、鷹爪拳の名を世に広めた。とりわけ山東省や北京において、劉は彼の名声と実力を慕う多数の弟子を集め、鷹爪拳は中国武術の名流の一つとなる。 北京の弟子で最も著名な者に少林拳や太極拳、八卦掌の「劉徳寛」で、彼は劉から学んだ武術を「五十路岳氏散手」としてみだりに伝えることが無かった。その他、黃埔軍武術教官であった劉淑雲や徐六、満州人の紀四などにも武術を伝えた。後に雄県に隠棲しても、彼方から武術を学びに来る者が後を絶たなかったと言われる。 やがて近代に入り陳子正が上海精武体育会の武術教官に就任する。陳は鷹爪拳を学ぶ前に、戳脚や硬気功、更に翻子拳を大変得意としていたため、自ら学んだ拳法流派を尋ねられた時に、自分の学んだ武術を総合して「鷹爪翻子拳」を名乗る。これが世に初めて出てきた「鷹爪翻子拳」であった。 鷹爪翻子拳は、精武体育会でも呉艦泉の呉氏太極拳や羅光玉の七星蟷螂拳と並び広く学習され、現在は東南アジアや海外でも学ぶ人が多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鷹爪翻子拳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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