|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 鹿 : [しか] 【名詞】 1. deer ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November) ・ 木 : [き] 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber ・ 健 : [けん] 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day ・ 日子 : [にっし] (n) (number of) days
鹿子木 健日子(かなごき たけひこ、かなこぎ ケーニヒ、男性、1914年6月17日 - 1992年2月19日〔『日外アソシエーツwhoplus』「鹿子木 健日子(バスケットボール選手)」の項〕)は、日本のバスケットボール選手、指導者。1936年のベルリンオリンピックに日本代表として出場した。 == 経歴 == 1914年、東京生まれ。父親は哲学者・海軍軍人の鹿子木員信、母親はポーランド系ドイツ人で教育者の鹿子木コルネリアである(後に両者は離婚)〔 2013年1月6日閲覧。〕。妻の邦子は岩倉具明子爵の娘〔岩倉氏(分家具経家) 2016年2月11日閲覧。〕。 東京府立五中、武蔵高校を経て、東京帝国大学経済学部に進学〔『読売新聞』1936年2月18日朝刊4頁「代表選手プロフィル 鹿子木健日子=籠球」〕。在学中は籠球部レンジャースに所属して主将を務めた〔『東京朝日新聞』1936年2月21日東京朝刊4頁「東大篭球部役員」〕。1936年のベルリンオリンピックには、バスケットボール日本代表として出場〔Japan at the 1936 Berlin Summer Games 2013年1月6日閲覧。〕〔Japan Basketball at the 1936 Berlin Summer Games 2013年1月6日閲覧。〕。大学卒業後は日産自動車に勤務したが〔、戦後退社して陶器の輸出入を手掛ける茜商会を起業した〔『読売新聞』1959年12月13日朝刊17頁「鹿子木健日子 バスケット界の“野党”に」〕。会社経営の一方で日本バスケットボール協会の理事として後進の育成にあたり、1957年5月には日本スポーツ界代表団の一員として中華人民共和国を訪問した〔日中文化交流協会のあゆみ 2013年1月6日閲覧。〕。1992年死去、享年77歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鹿子木健日子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|