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鹿島 則文(かしま のりぶみ、天保10年1月13日(1839年2月26日) - 明治34年(1901年)10月10日)は、幕末・明治時代の神職。 鹿島神宮大宮司であった鹿島則孝の子として生まれる。号は桜宇。儒書を安井息軒に学び、また、自ら皇典を究め国事に奔走、1865年(慶応元年)、幕府に忌まれ八丈島に流される。1869年(明治2年)赦免、1873年(明治6年)鹿島神宮大宮司、1884年(明治17年)神宮宮司に任じ、祭儀の復興、林崎文庫の整備、神宮皇學館(皇學館大学の前身)の拡充、『古事類苑』の出版などに尽力した。1898年(明治31年)、神宮炎上の責を負い辞職し帰郷。1901年(明治34年)10月10日、63歳で病没。茨城県鹿島郡鹿島町三笠墓地に葬る。 ==外部リンク== *昭和女子大学図書館所蔵・桜山文庫 深沢秋男研究室 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鹿島則文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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