翻訳と辞書
Words near each other
・ 鹿歩山古墳
・ 鹿毛
・ 鹿毛みさ
・ 鹿毛ゆみ子
・ 鹿毛利枝子
・ 鹿毛康司
・ 鹿毛敏夫
・ 鹿毛継雄
・ 鹿毛誠一郎
・ 鹿水川
鹿江三郎
・ 鹿江比売神社
・ 鹿江比賣神社
・ 鹿沢スノーエリア
・ 鹿沢ダム
・ 鹿沢ハイランド
・ 鹿沢温泉
・ 鹿沢線
・ 鹿沢菅平線
・ 鹿沼


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

鹿江三郎 : ミニ英和和英辞書
鹿江三郎[かのえ さぶろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 
: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [み]
  1. (num) three 

鹿江三郎 : ウィキペディア日本語版
鹿江三郎[かのえ さぶろう]

鹿江 三郎(かのえ さぶろう 1881年明治14年)10月6日 - 没年不詳)は、日本の海軍軍人教育者海軍砲術学校校長を務めた海軍少将であり、予備役後は逗子開成中学校長〔逗子開成高校 〕を務めた。
== 人物・来歴 ==

=== 略歴 ===
佐賀県出身。海軍兵学校30期。席次は187名中41番。同期に百武源吾松山茂金子養三らがいる。「東雲」乗組みとして日本海海戦に参戦した。鹿江は海大乙種、砲術学校高等科学生を修了した砲術専攻士官で、6艦で砲術長を務めたほか砲術学校教官を4度務めている。中佐進級と同時に発令された教官配置は5年半に渡り、在任中に教頭心得、大佐進級と同時に正式に教頭に就任している。在任中は射撃科長などを務め、机上射撃演習機の改良などを行った〔『提督 新見政一』pp.16-17〕ほか、艦隊の演習に際しては審判官にも度々任じられている。次いで「平戸」艦長に就任。在任中に関東大震災が発生し、被災者、救援物資の輸送任務に従事した。練習艦隊所属の「八雲」艦長として遠洋航海の成功に貢献し、横須賀海兵団長に転じる。1926年(大正15年)12月少将に昇進し、砲術学校校長に就任。同職を2年務め、鹿江の砲術学校勤務は10年を超えた。美保関事件では軍法会議判士を務めた〔『美保関のかなたへ』p.179〕。1930年(昭和5年)6月、予備役編入となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鹿江三郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.