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鹿目善輔 : ミニ英和和英辞書
鹿目善輔[かのめ ぜんすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)
: [ぜん]
 【名詞】 1. good 2. goodness 3. right 4. virtue 

鹿目善輔 : ウィキペディア日本語版
鹿目善輔[かのめ ぜんすけ]


鹿目 善輔(かのめ ぜんすけ、1893年(明治26年)11月22日 - 1960年(昭和35年)9月21日)は、日本海軍軍人太平洋戦争開戦前の出師準備にあたった兵備局課長で開戦時の軍令部先任副官、北方部隊の幹部、大湊警備府参謀長を歴任し、終戦後は大湊地方復員局長、横須賀地方復員局残務処理部長を務めた海軍少将で、後に米海軍横須賀基地(横須賀海軍施設)警備隊(Base Civil Police=B.C.P.)の初代日本人警備隊長に就任。
==概要==

===略歴===

神奈川県出身。鹿目善輔は、明治三年(1870年)浦賀に移住した会津藩士 鹿目常吉(幸之助)の孫として、明治二十六年(1893年)神奈川県三浦郡浦賀町(現・横須賀市浦賀)で生まれた。 大正五年(1916)に海軍兵学校を卒業後、少尉候補生として軍艦「常盤」に乗り組み、北米および南洋諸島を回航。 大正六年(1917年)十二月に海軍少尉任官、海軍兵学校44期。席次は入校時、卒業時とも47番。同期に松田千秋黒島亀人島本久五郎らがいる。鹿目は海大航海学生を修了した航海科専攻士官で、大尉少佐時代に6艦で航海長を務めている。海大甲種(27期)を卒業後は、軍令部副官をはじめ人事局局員、欧米各国出張、第3戦隊参謀、 軍令部出仕兼皇族附武官(高松宮宣仁親王附)などを務めている。1939年(昭和14年)11月大佐へ進級し、「天龍」艦長となった。1940年(昭和15年)10月15日、軍令部出仕兼海軍省出仕として軍務局第二課で勤務し11月1日には同課長となる。しかし2週間後の11月15日兵備局第三課の初代課長に異動。その日は出師準備第一作業の発動日でもあった〔『海軍と日本』Ⅱ海軍と政治〕。1941年(昭和16年)6月には軍令部先任副官となり、日米開戦を迎えた。1942年(昭和17年)7月、日本北方を担当する第五艦隊附となり、「多摩」艦長に就任。陸軍部隊をアッツ島に輸送し、1943年(昭和18年)3月27日にはアッツ島沖海戦に参戦した。同年7月に大湊警備府参謀長となり、1944年(昭和19年)10月少将へ昇進。第十二航空艦隊参謀長を兼務したが終戦を迎える。 予備役となるも充員召集を受け、大湊地方復員局長官、大湊地方復員局長、横須賀地方復員残務処理部長として終戦業務に従事した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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