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鹿野 琢見(かの たくみ、1919年4月15日 - 2009年10月23日)は、日本の弁護士。1969年、東京第二弁護士会副会長。弥生美術館および竹久夢二美術館を創設し理事長を務めた。また立原道造記念館の創設にも関わり同館理事長を務めた〔鹿野琢見「立原道造記念館の設立」『「国文学解釈と鑑賞」別冊 立原道造』 至文堂、2001年〕。 == 略歴 == * 1919年、宮城県栗原郡(現栗原市)に生まれる。 * 1929年、雑誌「日本少年」で高畠華宵の『さらば故郷!』をみる * 1936年、小学校教員となる * 1940年4月、仙台野砲兵第二連隊に入隊 * 1943年4月、陸士予科入校 * 1945年8月、復員 * 1946年4月、東北帝国大学法文学部入学、1949年、同卒業 * 1950年、最高裁判所司法修習生となる * 1952年、弁護士登録、東京第二弁護士会所属 * 1964年、弥生町町名変更訴訟の原告団となる〔「弥生町名騒動記」 『法のまにまに』〕 * 1965年3月、高畠華宵(当時76才)の消息を知る。以降、華宵と書信のやりとりをする。のち『新さらば故郷!』を贈られる〔「華宵の間 由来記」 『法のまにまに』〕 * 自宅に「華宵の間」をつくり華宵を招く。華宵会を発足。 * 1966年7月、華宵没す。その後、親族より華宵の著作権を譲渡される〔「創設にあたり」 『弥生美術館 大衆のこころに生きた絵画家たち』〕 * 1984年6月、弥生美術館創設 * 1990年11月、竹久夢二美術館創設 * 1997年3月、立原道造記念館創設 * 2009年10月23日、肺炎のため死去 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鹿野琢見」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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