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鹿野 道彦(かの みちひこ、1942年1月24日 ‐ )は、日本の政治家。民主党顧問。 衆議院議員(11期)、衆議院運輸委員長、農林水産大臣(第14、52・53代)、総務庁長官(第12代)、新党みらい代表、国民の声代表、民政党幹事長、民主党国対委員長等を歴任した。父は衆議院議員を5期務めた鹿野彦吉。 == 来歴・人物 == 民主党内では珍しい自由民主党清和会出身。自民党時代は「清和会のプリンス」と呼ばれ40代で入閣するなど将来の総裁候補として期待されていた。離党後も新党みらい・国民の声で代表を務め、新進党・民主党でも党首(代表)候補として度々名前が挙がってきた。 農林水産行政に精通しており、海部・菅・野田の三内閣で農林水産大臣を務めた。また、党内では自民党で総合農政調査会長、民主党では農業再生本部長等を歴任している。農業政策の方針として、アジア地域での食糧輸出・技術連携を重視した「攻めの農業」を掲げ、農業者戸別所得補償制度を基本として農業の持続可能な発展を目指している。一方、アメリカが議論を主導するTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)には懐疑的な立場をとることが多い。なお、農水相通算在任期間は828日に及び、農林省から農林水産省に名称が変更した後では歴代1位の記録である(ただし連続在任1位は田名部匡省で、鹿野より12日多い)。 古くから政治改革を志向し、自民党では政治倫理委員長や選挙制度部会長代理等を歴任した。1993年の政界再編では、現職の閣僚(総務庁長官)であったため表立った動きはとれなかったが、翌年には新党みらいを結成し離党、新進党時代には衆議院行政改革特別委員会の筆頭理事を務めた。民主党では入党直後から政治改革本部長に就任、2002年に業際研事件の責任をとり離党する直前まで在職していた。 憲法問題にも明るく、民主党憲法調査会長に加え、長く衆議院憲法調査会の幹事を務めた。やや改憲のスタンスで知られる。民主党憲法調査会では、2005年に落選し議員でなくなった後も顧問として名を連ねた。 父である鹿野彦吉衆議院議員の秘書を経て政界入りした二世政治家。衆議院当選11回は、党内では羽田孜・渡部恒三の14回に次ぐ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鹿野道彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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