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千代田区立麹町中学校(ちよだくりつ こうじまちちゅうがっこう)は、東京都千代田区平河町二丁目に所在する区立中学校。 == 概要 == 千代田区麴町地域に所在する唯一の公立中学校である。通称は麹中。 麹町中学校は、六三制の新制中学校として昭和22年4月に設立され、千代田区立永田町小学校3階7教室にて発足する〔『二十年のあゆみ』東京都千代田区立麹町中学校 1967〕。その後、現在の地に校舎が造られた。校地は、安田財閥の祖である安田善次郎が、自宅の土地を「庭に植えてあるソテツの木を枯らさないこと」を条件に寄贈したものである。ソテツは現在もシンボルとして存在する。初代校長は、のちの京都大学理学博士である有元石太郎が就任した。現在、脆震の2号館のみを改修しているが近いうちに校舎を全面改修する予定になっている。 近隣には国会議事堂や最高裁判所がある。全校生徒数は308名・10学級編成(1年:3学級94名・2年:3学級97名・3年:4学級117名、2009年7月現在)。 東京都立日比谷高等学校をはじめとする難関校に多数合格者を輩出してきたことから「名門公立中学校」の一つとしてしばしば名前が挙げられる。また、麹町中学校内申書事件(最二小判昭和63年7月15日判時1287号65頁)の判例を通して、法学を学ぶ学生に、また、『積木くずし』の舞台となった学校として年配者に有名である。 1950~60年代、東京大学合格の全国一位は都立日比谷高校であった。その近隣に所在する事から、高校受験過熱化と共に日比谷志望の入学希望者が全国から殺到し、団塊の世代が在籍していた1960年代には全校生徒1700人を数える大規模校であった(当時は、番町小学校 - 麹町中学校 - 日比谷高校 - 東京大学と辿る進学コースが、日本のエリートの常道と言われていた)。麹町中学校は、番町小学校、麹町小学校、永田町小学校(閉校し、現・麹町小学校)3校の学区指定の進学先であるため、これらに越境入学者が集まり、附属幼稚園から越境する者も少なくなかった。 現在も学校全体では学力が高く、進学実績も比較的良好である。近隣の中学校と同様、入学時から越境通学する生徒の割合も高い。教科指導では習熟度別授業や少人数授業を以前から実施している。以前は内申点と照合すると、学力と乖離した分不相応の都立高校受験となる生徒も出ていたが、近年は評価方法が相対評価から絶対評価へ変わったことにより都立高校への進学率が増加している。なお、2008年春の都立日比谷高校進学者数は3名であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千代田区立麹町中学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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