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黄 季陸(こう きりく)は中華民国(台湾)の政治家・ジャーナリスト・教育者。中国国民党の政治家で、西山会議派の一員と目される党内右派の人物である。学名(学齢に達したときの名)は学典だが、字の季陸で知られる。の人。 == 事跡 == === 海外留学 === 革命派の根拠地でもあった叙永で育ち、また堂兄(父方の従兄)の黄方が革命派であったこともあり、黄季陸自身も早くから革命思想に傾倒していた。清末の四川鉄道保護(保路)運動にも参加している。1913年(民国2年)、上海に赴き、一族の黄復生の紹介により孫文(孫中山)に面会した。 革命活動の傍ら、黄季陸は1914年(民国3年)夏に上海の南洋公学に入学する。1915年(民国4年)12月の護国戦争が勃発すると、黄も護国軍に参加し、北京政府の追及を逃れるため復旦公学中学部に転入した。1917年(民国6年)夏、中学部を卒業し、孫文の命で四川省に戻り、四川軍指揮官の熊克武に付く。しかし熊は次第に孫から離反し始めたため、怒った黄は熊の下を出奔した。 1918年(民国7年)、黄季陸は日本に留学し、慶應義塾大学に入学した。翌年5月、反北京政府デモに参加して警察に逮捕されてしまう(1日の拘留で釈放)。この経験で日本への反感を持った黄は、中途で慶應大学を退学してアメリカに向かう。1921年(民国10年)春、カリフォルニア大学に入学し、その後、イリノイ・ウェズリアン大学に転入して政治学を学んだ。卒業後はオハイオ州立大学大学院に進学し、修士号を取得している。1922年(民国11年)、カナダに赴き、トロント大学で学ぶ傍ら、『醒華日報』の主筆を担当した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄季陸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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