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黄檗希運(おうばく きうん、生年不詳 - 大中4年(850年))は、中国唐代の禅僧。黄檗山黄檗寺を開創。臨済宗開祖の臨済義玄の師として知られる。 == 生涯 == 閩(ビン,門+虫、福建省)の出身。 幼くして黄檗山建福禅寺(後の万福寺・福建省)で修行し、後に百丈懐海(749年 - 814年)の法嗣となる。 江西洪州鍾陵(江西省高安県) の鷲峰山に黄檗山〔黄檗山を山号とする寺院は全世界に1.黄檗山万福寺(福建省福州府福清県永福郷) 2.黄檗山黄檗寺 (江西省高安県鷲峰山)3.黄檗山万福寺(京都府宇治市)の3ヵ寺。最初に黄檗山を称したのは1.黄檗山万福寺である。5世紀末の文献にその地名がみえるがその頃はまだ寺院などは建立されていなかった。(林田芳男著「明末における福州の仏教」「黄檗文華」第114号)〕黄檗寺を開創〔希運の法系は栄えたので黄檗山黄檗寺も有名になり、黄檗山万福寺と甚だしく混同されるようになった。希運は万福寺の前身である建福禅寺で修行した時期があったが、住持であったことはない。〕。この山号は修業時代を忘れないために用いたという。 大中4年(850年)に同寺で示寂した。諡して断際禅師といい、髪塔を広業塔といった。 圭峰宗密と並んで宰相の裴休(797年 - 870年)に尊崇され、その語録である『黄檗希運禪師傳心法要』(857年成立)は、裴休が編んだものである。 弟子に、臨済宗の祖である臨済義玄らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄檗希運」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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