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黄母衣衆(きぼろしゅう)は、豊臣秀吉が馬廻から選抜した武者で、武者揃えの際に名誉となる黄色の母衣指物の着用を許された者。織田信長が近習の使番から精鋭として黒母衣衆と赤母衣衆を選んだことに倣ったといわれる。 着用を許された武将の一覧は、小瀬甫庵の『甫庵太閤記』の22巻末と、山鹿素行の『武家事紀』の14巻末にある。秀吉は、黄母衣衆の他に赤母衣衆も選び、黄母衣衆の何名かは後に赤母衣衆や腰母衣衆や大母衣衆となったと記されている。 ==黄母衣衆== ===『甫庵太閤記』=== ;黄母衣衆(24名) *戸田民部少輔 (勝隆) *三好丹後守〔後に秀吉の赤母衣衆。〕 (房一) *井上忠右衛門尉 (道勝) *津田与左衛門尉 (信任) *郡主馬正 (宗保) *松原五郎兵衛尉〔 *野々村伊予守〔信長の母衣衆である野々村正成の弟。〕 (雅春/幸成) *長原雲沢軒〔同一人物と思われるが、名前以外の情報は他にも記載がなく不明。〕 *尾藤甚右衛門尉〔 (知宣) *青木民部大輔 (一重) *伊東丹後守〔 (長次/長実) *毛利壱岐守(吉成/勝信) *一柳右近大夫〔同一人物と思われる。〕 *速水甲斐守 (守久) *赤美平七郎〔名前以外について不明。〕 *中島式部少輔 (氏種) *服部采女正 (一忠) *山田久三郎〔秀吉の馬廻。金切裂指物使番の1人。〕 *荒川助八郎〔秀吉の馬廻衆で黄母衣衆。朝鮮の役では名護屋城に駐屯した。〕 *山田忠兵衛尉〔 *長坂三十郎〔 *近藤九介〔 *伊木七郎右衛門尉 (遠雄) *石尾下野守〔荒木元清の三男。〕 (治一) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄母衣衆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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