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黄海線 : ミニ英和和英辞書
黄海線[こうかいせん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. yellow 
黄海 : [こうかい]
 (n) Yellow Sea

黄海線 : ウィキペディア日本語版
黄海線[こうかいせん]

黄海線ハングル: )は朝鮮鉄道黄海道地域で建設した狭軌鉄道の通称である。 この路線は1944年 4月1日朝鮮総督府によって買収され、〔朝鮮総督府官報 昭和第5143号, 1944年3月29日〕同時に土海線甕津線長淵線沙海線下聖線內土線鼎島線などに路線名が分離と変更された。
現在の路線は全部標準軌に改軌され、黄海青年線殷栗線の一部区間、長淵線甕津線白川線となっている。改軌の過程で一部分が廃止または移設された。'')は朝鮮鉄道黄海道地域で建設した狭軌鉄道の通称である。 この路線は1944年 4月1日朝鮮総督府によって買収され、〔朝鮮総督府官報 昭和第5143号, 1944年3月29日〕同時に土海線甕津線長淵線沙海線下聖線內土線鼎島線などに路線名が分離と変更された。
現在の路線は全部標準軌に改軌され、黄海青年線殷栗線の一部区間、長淵線甕津線白川線となっている。改軌の過程で一部分が廃止または移設された。
== 沿革 ==

*1919年5月20日 - 上海 - 石灘 - 内土間が三菱製鉄所属軽便鉄道として開通。〔朝鮮総督府官報 大正第2054号, 1919年6月16日〕
*1920年4月21日 - 上海 - 内土間を西鮮殖産鉄道株式会社が引受。〔朝鮮総督府官報 大正第2317号, 1920年5月4日〕
*1920年12月21日 - 砂里院 - 上海 - 載寧間が西鮮殖産鉄道株式会社線として開通。〔朝鮮総督府官報 大正第2514号, 1920年12月27日〕
*1921年11月16日 - 載寧 - 信川間が西鮮殖産鉄道株式会社線として開通。〔朝鮮総督府官報 大正第2782号, 1921年11月19日〕
*1924年9月1日 - 石灘 - 未力間が朝鮮鉄道所属黄海線として開通。〔朝鮮総督府官報 大正第3620号, 1924年9月5日〕
*1925年9月1日 - 未力 - 新院 - 下聖間開通。
*1929年11月1日 - 信川 - 水橋間開通。
*1929年12月21日 - 新院 - 鶴峴間開通。
*1930年12月11日 - 鶴峴 - 東海州間開通。〔朝鮮総督府官報 昭和第1187号, 1930年12月16日〕
*1931年12月21日 - 東海州 - 延安、東海州 - 龍塘浦(海州港駅)間開通。〔朝鮮総督府官報 昭和第1492号, 1931年12月26日〕
*1932年9月1日 - 延安 - 土城間開通。
*1933年7月1日 - 東海州 - 海州間開通。
*1934年5月11日 - 西邊駅(東浦駅)開業。〔朝鮮総督府官報 昭和第2195号, 1934年5月8日〕
*1936年12月11日 - 海州 - 翠野間開通。
*1937年1月21日 - 水橋 - 長淵間開通。
*1937年5月10日 - 東浦 - 鼎島間開通。〔朝鮮総督府官報 昭和第3096号, 1937年5月14日〕
*1937年5月19日 - 翠野 - 甕津間開通。〔朝鮮総督府官報 昭和第3106号, 1937年5月26日〕
*1944年4月1日 - 各路線は全部国有化され、長淵線、砂海線、内土線、下聖線、土海線、甕津線、鼎島線に分離された。
*1944年10月1日 - 黃海本線の開通によって既存の下聖駅は'旧下聖駅'に駅名変更。〔朝鮮総督府官報 昭和第5286号, 1944年9月15日〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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