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黄玉崑 : ミニ英和和英辞書
黄玉崑[こう ぎょくこん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. yellow 
黄玉 : [こうぎょく]
 (n) topaz
: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin

黄玉崑 : ウィキペディア日本語版
黄玉崑[こう ぎょくこん]
黄 玉崑(こう ぎょくこん、''Huang Yukun''、1817年頃 - 1857年)は、太平天国の指導者の一人。
広西省桂平県出身。翼王石達開の妻の父。知識人階層出身で、馮雲山が官憲に逮捕されたときに賄賂を贈って釈放させ、拝上帝会の危機を救ったことがある。金田蜂起後、殿左一指揮となり、1852年長沙の戦いから一軍を領した。よく部隊をまとめあげて、武昌の戦いでは、彼の部隊が漢陽を占領した。この功で殿左一検点に昇進した。天京に都を定めた後は、夏官正丞相となり、司法関係を担当した。1854年に衛国公に昇進するが、東王楊秀清の親族と燕王秦日綱の馬丁の裁判で、楊秀清の親族に有利に取り計らわなかったため、楊秀清から処罰・降格された。その後、翼王府で文書処理を担当するが、またもとの地位に戻された。1855年、石達開に従って江西省の攻略に赴いた。1856年に石達開が江南大営の攻略のため天京に戻ると、代わって黄玉崑が江西省の軍務を担当したが、1857年吉安での戦闘で戦死した。
==参考文献==

* 羅爾綱『太平天国史』中華書局



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黄玉崑」の詳細全文を読む




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