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黄 琪翔(こう きしょう)は中華民国・中華人民共和国の軍人・政治家。粤軍(広東軍)第1師出身で、後に国民革命軍の有力指揮官として日中戦争でも日本軍との交戦経験を有す。反蒋介石派としても知られ、鄧演達が組織した中国国民党臨時行動委員会(通称「第三党」。後の中国農工民主党)に加入する。鄧死後は第三党の指導者の1人となり、後年、中華人民共和国にも参加している。字は御行。 == 事跡 == === 粤軍での台頭 === 当初は広州優級師範附属中学まで進学したが、1912年(民国元年)から軍人の道を目指すようになる。広東陸軍小学、湖北第三陸軍中学を経て、保定陸軍軍官学校第6期砲兵科に入学した。1919年(民国8年)に卒業し、北京政府の部隊に配属され砲兵隊隊長となる。 しかし黄琪翔自身は孫文(孫中山)の革命思想に傾倒しており、1922年(民国11年)に北京政府の部隊を離れ広東省に戻り、粤軍(広東軍)第1師司令部後方弁事処参謀に任ぜられた。同年6月に陳炯明が反孫クーデターを起こすと、黄は第1師第1団副団長に配属され、陳討伐に従事している。1924年(民国13年)1月の中国国民党第1回全国代表大会後に国民党に加入している。 その後も黄琪翔は順調に昇進し、1925年(民国14年)7月、粤軍第1師が国民革命軍第4軍(軍長:李済深)に改組されると、第12師(師長:張発奎)第36団団長に昇進した。翌年7月からの北伐でも、黄は北京政府側の孫伝芳・呉佩孚との戦いで軍功をあげている。1927年(民国16年)、第4軍副軍長兼第12師師長に昇進した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄キ翔」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Huang Qixiang 」があります。 スポンサード リンク
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