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黄石山城の戦い : ミニ英和和英辞書
黄石山城の戦い[きいしやまじょうのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. yellow 
: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
石山 : [いしやま]
 (n) a stony mountain
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山城 : [やまじろ]
 (n) mountain castle
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

黄石山城の戦い : ウィキペディア日本語版
黄石山城の戦い[きいしやまじょうのたたかい]

黄石山城の戦いとは、慶長の役において朝鮮軍が守る黄石山城を日本軍が攻略した戦い。
== 概要 ==
日本軍の右軍先鋒加藤清正は7月25日西生浦を発し梁山に至り主将毛利秀元吉川広家安国寺恵瓊これに属す)及び黒田長政鍋島直茂父子、池田秀氏中川秀成長宗我部元親父子等と会し、ここに全軍の集中を終え、霊山を経て昌寧に到る。此地の東方約1里に火王山城があり郭再祐等がここを守っていたが、日本軍はこれを無視して前進する。
右軍は昌寧より西に折れ草渓陜川を経て安陰に向かう。すると所在の朝鮮軍は皆逃散する。日本軍が安陰に至ったとき黄石山城がただ独り堅守して屈せず。
黄石山城は安陰の西北約2里に在り四方斗絶し険峻甚だしく慶尚全羅2道の咽喉を扼していた。安陰縣監郭シュンが入ってこれを守り、金海府使白士霖、前咸陽郡守趙宗道は兵を率い来てこれを助け安陰、居昌、咸陽3郡縣の軍民数千人を募り、城の各所に分置する。西南二方面は郭シュン自らこれに当り、東北二方面は白士霖が指揮し、趙宗道は遊軍となる。白士霖は武官の出身であったため城兵はこれを頼みとした。
8月中旬(日子未詳、蓋し14、5日頃)日本軍は諸隊を部署し加藤清正は南面より、鍋島直茂父子は西面より、黒田長政等は東面よりこれを囲み(其の他の区分未詳)、竹束盾を連ね、柵を結って城に迫り、16日(明暦17日)の夜、月明に乗じて総攻撃を開始する。このとき白士霖は逃走した。郭シュンは持場を離れず戦ったが、加藤の士森本義太夫等が南門に先登し、神田対馬が郭シュンを打ち取った。郭シュンの子、郭履常、郭履厚及び趙宗道等は皆ここに戦死し、日本軍は350餘の首級を挙げ黄石山城は陥落した。さらに諸隊は追撃し、山谷の間に斬殺するもの無数。翌日勝利を豊臣秀吉に報ず。
右軍はその後、六十嶺を越え鎮安を経て全州に至り左軍と会合し、両軍ここに駐まること数日、24日全州城を破毀する。この頃、豊臣秀吉の使(姓名未詳)が来て両軍の報告を聴取する。ここにおいて宇喜多秀家、毛利秀元以下の諸将は会議して今後の方略を定め、毛利秀元(吉川広家等を除く)加藤清正、黒田長政、の3隊約4万人は目付太田一吉竹中重利の2人がこれを監し北上して公州方面に進み長宗我部元親父子、鍋島直茂父子、吉川広家、池田秀氏、中川秀成等は左軍に属して忠清、全羅2道の討伐に従事する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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