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黄精飴 : ミニ英和和英辞書
黄精飴[おうせいあめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. yellow 
: [せい]
 【名詞】 1. spirit 
: [あめ]
 【名詞】 1. (gen) (food) (hard) candy 2. toffee 

黄精飴 : ウィキペディア日本語版
黄精飴[おうせいあめ]

黄精飴(おうせいあめ)は、岩手県銘菓
糯米水飴砂糖で作る求肥飴の中に、アマドコロの根のエキスを混ぜて、片栗粉をまぶした和菓子の一種。菓名の黄精とは、ナルコユリからの根茎から作られる生薬の一種で、滋養強壮などに効果がある。また、アマドコロのエキスには同様の効果があるとされ、これが菓名となった。盛岡藩預かりとなった対馬藩の学者がアマドコロの存在に着目して創作したといわれる。
このように、漢方薬の原料などを材料とした菓子は、古くは薬菓子ともいわれていた。
黄精飴は第16回全国菓子大博覧会名誉大賞牌、第17回名誉無鑑査賞などを受賞している。
製造元は嘉永6年(西暦1853年)創業の長澤屋
黄精飴(おうせいあめ)

長澤屋の銘菓。甘野老(アマドコロ)の根茎の煎汁に餅米と水飴と砂糖を混ぜて造った求肥飴に片栗粉をまぶした菓子。寛永12年(1635)朝鮮通信使をめぐる国書改竄の罪で南部藩に御預になった対馬藩の方長老(ほうちょうろう)が黄精と同属別種のアマドコロを見つけ製法を伝えたとされる。黄精は、中国雲南省に自生するユリ科アマドコロ属のカギクルマバナルコユリの根茎ことだが、外観が似て薬効も変わらないユリ科アマドコロ属の鳴子百合(ナルコユリ)が一般的に黄精として栽培加工される。甘野老は玉竹(ぎょくちく)、萎蕤(いずい)といい、貝原益軒の宝永6年(1709)刊『大和本草』に「黄精と萎蕤と相似たり黄精は茎青し萎蕤は茎紫なり、萎蕤根は蘆値相似たり薬肆に生姜手の黄精と称するは是真の黄精也、地黄手の黄精と称するは萎蕤也。黄精萎蕤の葉有両々相対者不相対者相対するはまれなり。」とあり、形態も薬効も似て黄精とも呼ばれているという。菅江真澄の『いはてのやま』の天明8年(1788)8月の盛岡「廿九日 つとめて出たつ。もはらこゝのつちけとて、夏引の糸あまたくり返しもて、つむぎ、しまをりをし、黄精を蒸してぞ沽る宿の、軒をつらぬれたれど、偏精やいと多く、正精や、まれならんかし。この市中にながれたる中津河を橋よりわたれば、鹿角郡へわかれたる巷ありて、西にわかれては猶黄精をぞうるめる。黄精膏もあり、つとにせよなどよばふ。」(29日 早朝に出発した。もっぱらこの地の産物として、夏蚕の糸をたくさんとってつむぎやしま織をし、あまところを蒸してあきなう店が軒をつらねていたけれども、偏精が多く、正精はまれであろう。この市中を流れる中津川の橋をわたると鹿角郡へわかれる辻道があって、西にわかれる道をゆくと、やはり黄精を売っている。黄精膏もあり、みやげにもどうぞと呼びかけている。)(現代語訳東洋文庫)とある。正精と偏精は、唐の孟顯の『食療本草』に「根葉花實皆可食之。但相對者是、不對者名偏精。」、朝鮮の許浚の光海君5年(1613)刊『東醫寶鑑』に「其葉相對爲黄精不對爲偏精功用劣」、平賀源内の宝暦13年(1763)刊『物類品隲』に「黄精に偏精正精の別あり、本邦に所産のものは皆偏精にして正精はなし、偏精所在に多し、南部産上品茎葉甚大なり、その正精は享保中漢種を伝て今官園にあり、根葉和産と畧相似たり、葉薄両々相対して出ず、是正精にして偏精に比すれば功用勝れりとす、惜らくは世上至て希なり」とあり、葉が対生するものを正精、対生していないのが偏精としており、葉が対生するカギクルマバナルコユリが正精、偏精はナルコユリやアマドコロなど葉の互生するものを指すと思われる。黄精膏は、唐の孫思貎の『備急千金要方』に「黄精膏方 黄精一石去鬚毛、洗令淨潔、打碎蒸、令好熟、押得汁、復煎去上遊水、得一斗内乾薑末三兩、桂心末一兩微火煎之、看色鬱鬱然欲黄、便去火待冷」とあるが、東洋文庫訳註に「黄精膏は、盛岡地方でむかしからアマドコロの根茎をとろ火で長く煮て、それに黒砂糖を加え、器物にわけて売ったがそれを指すと思われる。」とあり、製法は異なり、いわゆる薬菓子として売られていたようである。黄精飴は、嘉永6年(1853)創業の長澤屋初代が工夫したものとされ、黄精膏とのかかわりを示す史料は未詳。
外部リンク

- 長沢屋:岩手県盛岡 - 和菓子モール 
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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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