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黄紹竑 : ミニ英和和英辞書
黄紹竑[き]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. yellow 

黄紹竑 ( リダイレクト:黄紹コウ ) : ウィキペディア日本語版
黄紹コウ[こう しょうこう]

黄 紹竑(こう しょうこう)は、中華民国中華人民共和国の軍人・政治家。国民政府国民革命軍)の軍人で、李宗仁白崇禧とともに新広西派(新桂系)の主要指導者の1人であった。別名は紹雄季寛
== 事跡 ==

=== 新広西派の成立===
大地主の家庭に生まれ、桂林の兌沢高等小学を卒業後、1910年宣統3年)春に広西陸軍小学第4期として入学した。このとき、第3期の李宗仁と同学になり、また、校内で革命派の思想の影響を受けている。
翌年に辛亥革命が勃発すると、黄紹竑は武昌南京で学生軍として革命派に参加した。1912年民国元年)秋、武昌陸軍第2予備学校に入学している。卒業後の1915年(民国4年)、保定陸軍軍官学校第3期に入学し、このときに白崇禧、夏威と同学になった。1916年(民国5年)に卒業して広西省に戻り、広西新軍模範営などに属している。
1920年(民国9年)の粤桂戦争で桂軍(広西軍)が粤軍(広東軍)に敗北すると、黄紹竑は桂軍の主力から離脱する形で百色に移駐した。このとき、軍備強化のためアヘン取引を掌握するなどしている。その後も広西省内では混乱が続き、黄は様々な勢力と離合を繰り返していく。
1923年(民国12年)秋、黄紹竑は李宗仁率いる定桂軍に参加し、白崇禧らもこれに合流して新広西派の基礎が固まった。翌年5月より、新広西派は、旧広西派陸栄廷沈鴻英との三つ巴の戦いを開始した。6月、南寧に定桂聯軍司令部が設置されると、李が総指揮、黄が副総指揮、白が前敵総指揮となった。8月までに、新広西派は広西の3分の2を掌握している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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