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黄金町(こがねちょう)は、神奈川県横浜市中区の町名。または京浜急行電鉄黄金町駅の所在する南区から初音町、黄金町、日ノ出町までの中区を含む大岡川沿い一帯の通称である。 == 歴史 == === 前史 === 元々は久良岐郡太田村の内で、1869年に黄金町が成立した。哲学書『淮南子』(えなんじ)の「清水有黄金金龍淵有玉英」の一節から町名を採ったとされる。かつては水田であった関外地区も、明治時代にもなると横浜の中心部、関内地区の発展に伴って都市化が進んだ。 明治の中頃には、大岡川に加えて吉田新田内の水路などの河川網が、関内・関外地区をめぐり人や物を運ぶ重要な輸送路として確立した。川を航行したのは主に、石材、木材などの建築資材をはじめ、石炭、食料品、肥料、生活用品などさまざまな貨物を扱う艀(はしけ)と呼ばれる無動力の小型運搬船であった。艀にはいろいろな種類があるが、1890年前後(明治23年前後)から、堅固で多くの貨物が運べる達磨(だるま)船が主流になった。 開港以後、当時の大岡川河口、現在の野毛地区の川沿いには米問屋など、荷物の運搬に水運を利用する卸売業者が増えていき、その傾向が日ノ出町の川沿いまで広がって、黄金町の木材問屋などができたと見られている。このようにして、黄金町や日ノ出町には問屋などの商業が増え始め、町が出来上がっていった。川べりは桜並木ではなく柳並木であった。柳は枝の揺れる姿が人を招く、と言われて商業地域では好まれ、その風習が柳並木となっていた。 関東大震災前の初音町通りは、初音町交差点から東小入口信号間と平行した一本裏の赤門町寄りの通りで、伊勢佐木町通りに負けないほど賑やかであった。なお、平戸桜木道路はまだなく震災以後に野毛の方から井土ケ谷に向けて真っすぐの通りができた。 1丁目には戸部銀行太田支店があり、3丁目には富崎工場という大きな染色工場があり、女工さんが120人ほどいて輸出の品物を作って盛んだった。日ノ出町は静かな町で七つ以上の病院があり病院町といわれるくらいであった。西側には桜の木が植えられ、お屋敷町ともいわれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄金町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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