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黎仁宗(れいじんそう、レ・ニャントン、)は、後黎朝大越の第3代皇帝(在位:1443年 - 1459年)。名は黎 邦基(れい ほうき、)または黎 基隆(れい きりゅう)。 == 生涯 == 太宗の三男として生まれた。父帝の早世後に即位すると大和(太和とも)と改元した。このときわずか2歳であり、宣慈太后阮氏英が摂政した。宣慈太后の施政により国内は比較的安定し、私人田産法十四条を制定した。また大和4年(1446年)にはチャンパの侵攻を撃破し、国王摩訶賁該を生け捕りにした。しかし太后は讒言を信じて功臣の黎可らを殺し、大臣の憤激を引き起こした。大和11年(1453年)、宣慈太后に代わって親政を開始した。 延寧2年(1455年)、潘孚先に国史の編纂を命じ、『史記続編』を完成させた。また百官の俸禄と王侯の封地の法を改めた。 延寧6年(1459年)、長兄の諒山王黎宜民によって宣慈太后もろとも殺された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黎仁宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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