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黎太祖 : ミニ英和和英辞書
黎太祖[そ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

太祖 : [たいそ]
 【名詞】 1. founder 2. progenitor 3. emperor
: [そ]
 【名詞】 1. ancestor 2. forefather 3. progenitor 

黎太祖 ( リダイレクト:黎利 ) : ウィキペディア日本語版
黎利[れい り]

黎利(れい り、Lê Lợi(レ・ロイ)、1385年 - 1433年)は、ベトナム後黎朝大越国の初代皇帝(在位: 1428年 - 1433年)。レ・タイ・トLê Thái Tổ黎太祖)の廟号でも知られる。諡号は高皇帝。
もとベトナム中部タインホアのラムソン(藍山)の豪族であった。1406年永楽帝によるベトナム侵攻(:en:Ming–Hồ War)とその後の支配(:en:Fourth Chinese domination of Vietnam)に抵抗。1416年、のち重臣となるグエン・チャイ(阮薦)らとともに、ラムソンで挙兵に及ぶ(藍山起義)。1418年にはビンディン・ウォン(平定王)と称する。以後、10年に及ぶ明への抵抗運動を続け、明をベトナムから撤退させることに成功。1428年、正式に明から独立し、ドンドー(東都、現ハノイ)で帝位に就き、黎朝を創始、国号を「大越」とした。宰相グエン・チャイらの補佐のもと、国家制度の整備を行い、均田制科挙制なども導入、諸法典の整備に取り組んだ。また、明との関係修復を図ったものの、名目上陳氏の末裔として担いだ陳暠を殺害したことや、「反乱軍の首魁」を冊封することへ抵抗感などからの反対論が明宮廷で大勢を占めたため、「権署安南国事」への任命に留まり、在世中は安南国王に封ぜられることはなかった。1433年に死去。子の黎元龍が継ぎ太宗となる。
==参考文献==

*『アジア歴史事典 9』(平凡社1984年)348ページ「レ・ロイ」(執筆:酒井良樹)
*『東洋歴史大辞典 中巻』(1941年、縮刷復刻版、臨川書店、ISBN 465301471X)「太祖(安南黎朝)」(執筆:小林知生)
*『東洋史辞典』(京都大学文学部東洋史研究室、東京創元社1974年、ISBN 4488003109)908ページ「黎利」



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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