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黎龍鋌(れいりゅうてい・)は、大瞿越前黎朝の第3代(最後の)皇帝。1005年から1009年の間に在位した。またの名を黎至忠(),〔。痔を患い床の上に臥したままで政務を執ったため、黎臥朝()の綽名をもつ。〔『大越史記全書』の記録によれば「臥朝皇帝」()、〔ただし、『欽定越史通鑑綱目』の説では、「臥朝皇帝」は諡ではないという。 在位時は殺戮と酒色乱倫にふけり、ベトナム史上における暴君とされる。 ==生涯== ===生誕から成長期=== 黎龍鋌は前黎朝の初代皇帝・黎桓の第五子として、祗候妙女(別名「初侯夷女」)を生母として生まれる。〔『大越史記全書』によれば、前黎朝の二代目皇帝・中宗の母親は祗候妙女であり、黎龍鋌は中宗の同母弟である。(『大越史記全書』198頁)『越史略·巻上 』中宗は初侯夷女の所生であり、黎龍鋌は中宗の同母弟である。つまり黎龍鋌は祗候妙女(あるいは初侯夷女)所生である。〕992年、黎龍鋌は父・黎桓により開明王()に封ぜられ、居住を藤州とする。〔『大越史記全書』193頁〕黎桓は980年の即位以來、長子の擎天大王・黎龍鍮を太子として擁立し、その兄弟は各地に冊封して藩王とした。しかし1000年、黎龍鍮は父・黎桓に先んじて没する〔『大越史記全書』196~197頁〕。これを受けた黎龍鋌は将来皇帝として即位する野望を抱き、黎桓に自身を皇太子に任命するよう働きかけるが、群臣らは「長幼の序」を乱すものとして大反対した。1004年、黎桓は黎龍鋌の兄で第三子の南封王・黎龍鉞を皇太子に任じ、黎龍鋌、黎龍錫はそれぞれ開明大王と東城大王に封じる。しかし黎龍鋌の胸中から、皇位への執着が消え去ることはなかった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黎龍テイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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