|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 黒 : [くろ] 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark ・ 黒い : [くろい] 【形容詞】 1. (1) black 2. (2) dark ・ 軍 : [ぐん] 1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops ・ 軍勢 : [ぐんぜい] 【名詞】 1. military forces 2. hosts 3. troops ・ 勢 : [はずみ] 【名詞】 1. (1) bounce 2. spring 3. rebound 4. (2) momentum 5. inertia 6. (3) spur of the moment
黒い軍勢(くろいぐんぜい、独:)は、第5次対仏大同盟戦争中の1809年4月1日、「黒公爵」ことブラウンシュヴァイク=リューネブルク=エールス公フリードリヒ・ヴィルヘルムが ヨーロッパ各地の戦場でナポレオン・ボナパルトおよびフランスのドイツ占領軍と戦うべく創設した義勇軍である。元は「ブラウンシュヴァイク公国軍団」()もしくは「黒い軍団」()と呼ばれていたが、後にイギリス軍に参加して「ブラック・ブランズウィッカーズ」()として名を馳せた。 ==前史== イエナ・アウエルシュタットの戦いでフリードリヒ・ヴィルヘルムの父、ブラウンシュヴァイク公カール・ヴィルヘルムは致命傷を負い、数日後に没した。プロイセン軍の総司令官を務めていたカール・ヴィルヘルムの所領、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領はナポレオンとの戦争で中立を保っていたにも拘わらず、フランス皇帝は1807年にブラウンシュヴァイク家が統治を停止したと宣言し、侯領を解体すると自身が打ち立てたヴェストファーレン王国に併合する。ブラウンシュヴァイクはこれ以降、同王国で新しく「デパルトマン・デュ・ロケール」と呼ばれた地方の首都になった。 フリードリヒ・ヴィルヘルムの妻、マリーはフランス軍のブラウンシュヴァイクへの侵攻が迫ると二人の息子、カールとヴィルヘルムを連れてひとまずプフォルツハイムに逃れた。フリードリヒ・ヴィルヘルム自身はシュレージエンにある自らの所領、エールス公領に退いたが、現状を無抵抗で甘受する気になれず、フランス軍に占領された侯領を奪還するために1808年から軍団を召集し始めたのである〔Gustav von Kortzfleisch: ''Des Herzogs Friedrich Wilhelm von Braunschweig Zug durch Norddeutschland im Jahre 1809.'' 1894, Sonderabdruck S. 1.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒い軍勢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|